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思いついたときにただ色々書いています

音楽と煙草と、海

真夜中、その友人と遊ぶことは数か月に1回の恒例行事になっていた。

そしてそれは頭の良い遊び方とは言えないものだった。

前回は”フジロックの会場に行くだけ”。今回は”海を見に行く”、というもの。

日を改めて、じゃなくて今から。到底、頭の良い遊び方とは言えない。

その友人は「わがままを言ってごめん」と言っていたけれど、友人との遊びや恋人とのデートはわがままなしでは成り立たない。わがままのない遊びなんて、つまらないよ。

余裕をこいてそんなことを思っていたが、私たちは若干緊張していた。当の本人ではあるが、これから未知の体験をするのだ。どこの海に行くかも決めずに、ただ車を走らせるというー

 


そんなとき、つい最近中国留学から帰ってきた友人⑵を思い出した。

「今どこにいるの?」とメッセージを送ると、「東京だよ」と。

「東京か。別に迎えに行けるな」

「そうだね。迎えに行ける」

電話越しにそんなやりとりをされたら、普通は恐怖に怯えるもの。少しは引いてくれてもいい。でもほろ酔いの友人⑵は「それなら待ってるよ」、そう答えた。

高速道路と下道を3:7の割合で経由して、友人⑵の自宅へと向かう。

途中、友人⑵が寝てしまわないようにと電話をかけた。

「さっきピアスをもう1つ開けたんだけど、左右のバランスが最悪でさ」

「そうなんだ」

「今ほろ酔いだから」

「呑んでるの?」

「うん。ちょっと1人で呑んでた」

じゃあピアスなんか開けるなよ。今じゃないだろ、今じゃ。

友人⑵と合流してから耳元を見ると、アンバランスなピアスが光っていた。

だが、それを気に入っているように「いいでしょ」と、左右に耳を揺らす。

たとえほろ酔いだったとしても、そのときが開けどきだったのかもしれないね。それでよかったのかも。まるでこの夜のよう。私たちは、今海に行くべきなのかもしれない。

 


時間稼ぎのマックで、Lサイズのポテトを2つ貪る。

駐車場で、各々の嘔吐・排便話(私たちはこれを「ゲロトーーク!」と名付けた)で盛り上がり、ポテトよりも美味しい煙草を食べる(吸う)。

「これから海に行くんだよね?」

疑うのは無理もない。今やっていることは地元でもできる。

しかし地図上では確かに羽田空港のまさに隣にいて、スマホを見ながら「ほんとかよ」と呟いた。最新テクノロジーなんて信じられるか。

 


YMM(横浜みなとみらい)に到着すれば、まだ動いても光ってもいない地味な観覧車が私たちを歓迎した。歩いている人間はいない。GANTZの世界に飛び込んだ私たちは、車を適当にパーキングに駐車して、適当にパーキングの場所を覚えて、踊りながら朝日を目指して歩いた。歩くことさえ適当だった。

YMM(横浜みなとみらい)にちなんで、「STAY TUNE(by,Suchmos)」、「TSUNAMI(by,サザンオールスターズ)」を歌えば、そこに「MINT(by,Suchmos)」を足したREMIX(アカペラver.)が繰り広げられた。オフィス街の無法地帯。多少大声で歌っても喋っても無害。この時の私たちはYMMと観覧車と真夜中を丸ごと自分たちのものにした、誇らしい気分だった。

 


辿り着いた海(正確に言えば湾に近かった)はまだ朝日に照らされておらず、タプタプと音を立てて波打っていた。藍色。ずっと見ていれば、大きな魚のよう。

LSDを使ったときって、こんな感じなのかな」

「確かにそうかもしれない」

そこでようやく、私たちは海に辿り着いたのだと確信した。LSDの話をしながらようやく。彼らはイワシ雲に風情を感じて「ピザポテトみたい」なんて言うのだ。「小学生かよ」と言おうとしてイワシ雲を見ると、確かにピザポテトだった。私も、小学生だった。小学生というより、全体的にずっと偏差値が低かった。

恐るべし真夜中・秋マジック。

唯一の大人だった瞬間は、朝日に照らされ始めた海を見たとき。

友人が「じゃあ1人1人、今この瞬間に合う音楽を流そう」と言って、順番に音楽を流したとき。友人⑵が流した「ASAYAKE by,カシオペア」は、朝焼けというより朝!ということに気づいた。あのときは、自由研究をしっかりと成し遂げたような、実際にこの目鼻、耳、肌で感じた確かなもの、本当があった。

 


それからは、二人の膀胱の弱さ、我慢の効かない尿意との戦いが起こり、海を眺めていた時間と思い出を、見事に上書きする出来事になるー

ひたすらにトイレを探すためだけに、みなとみらい中を練り歩く。

さっきは歩くことさえ適当だったのに、このときはもう、しっかりと足を地上に着け、無駄のない歩き方をしていた。一度の油断も許されない、みなとみらいの街並みよりもトイレの有無に集中して、ただひたすらに練り歩く。

「ウーバーイーツでトイレを頼みたい」

「膀胱をこのまま出して、誰かに渡したい」

今思えばとんでもないパワーワードである。

偏差値の低さに、思わず義務教育の必要性を疑った。

朝6時半。実際、どこの会社だってお店だって、開いていないのは当然である。それなのにも関わらず、開いていないそれらに暴言を吐きまくる彼らは最低だった。

「あれ、トイレっぽくない?」とシックな建物を指差したり、美術館への不法侵入を試みたり、後半はもうひどいものだった。今こうして文字にすると、もっとひどい。しかし彼らはそれほど本気だったのだ。本能みなぎる動物の、ありのままの姿ー

無事にトイレを済ませると、達成感に満ち溢れた様子かつ、ようやく私の存在に気づいた様子だった。再び、適当に歩き出す。

コンビニの外にあるテラスに座って、モーニングをした。

真横を通り過ぎていくサラリーマン・ウーマンたちに、羞恥を覚えながらのモーニング。”クラブ帰り、新宿を徘徊する若者”という見た目をしたゾンビが、みなとみらいのオフィス街のど真ん中でモーニングをしているのだ。とんでもない場違い感。立ち上がった瞬間、アルコール消毒されそうな勢い。 

 


帰路。とんでもない眠気に侵されていた私たちを救ってくれたのは、やはり音楽だったー

「三日月 by,絢香」、「Lover Boy 88 by,88rising,Phum Viphurit&ハイヤーブラザーズ」の大熱唱。音楽は無敵である。

「また近々必ず会おう」とハイタッチして、東京に友人⑵を送り届け、地元へと帰った。

 


音楽と煙草と、ただ海を見たいという気持ちしか、3人の気力を繋ぐものはなく。

肉体的疲労感、眠気、集中力の皆無さには、こんな体験勿体無いかもしれない。だがそれを充分に理解した上で無茶をする。このときに生まれる特有の感情は中毒的である。やめられない。

「今しかできないだろうな」

「後2年したら、もうできないと思うよ」

「22歳か。でも、していたいな」

今日が楽しかったとしか言わずに友人とも別れ、無事に家へと着いたが、私はこの出来事を日記以上、冒険記未満の言葉にしておきたかった。

これは、これからの自分にとってのお守りになると思っている。

 

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