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思いついたときにただ色々書いています

LOVE,LATTERS & LONG CONVERSATIONS

思い出さないことはないと言い切れる。

私たちらしい、オレンジ色の花々が並ぶテーブルに、自我が芽生え始めた幼稚園児の時から、出逢い、言葉を交わし、美味しいご飯を食べ、喧嘩し、心地よい朝焼けを迎えた人たちが、一同に座っている。名前を呼ぶ声が聞こえてそちらに顔を向ければ、「今日はハートをたくさん送るから!」と、ありったけの笑顔が見えた。嬉しかった。みんなのことをまとめて力強く抱きしめたいと思った。どうすればこの感情が伝え切れるのか、ひとまず、いつもの「文章起こし」に委ねてみようと思う。

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「みんなと肉声で会話がしたい」、「自分の理想を諦めたくない」、「2人の大好きな夏のマジックアワーの中で時を過ごしたい」、〈どんな結婚式をあげたいですか?〉という質問に、そう答えていた2024年9月。それに「できます。そしてそれ以上のこともできます」と言い切ってくれたのが、今回の会場だった。足を踏み入れた瞬間、木々の緑色と穏やかなライティングに心を奪われた。ここでみんなと過ごしたい、私たちの結婚式を見守ってほしいと思った。はじめ、現実主義な夫は結婚式を挙げることの意味を見出せていなかったようだったが、この夢だけは叶えたいという私を尊重してくれ、「結婚1周年の2025年8月30日」を日取りに、契約書にサインを記した。


そこから「結婚式を挙げる」ということだけが決まって、実感が湧かないまま、半年が過ぎる。最初の打ち合わせでは「おふたりを取り囲む人たちについて教えてください」という質問が投げかけられ、私たちは交互に、今まで出逢ってきた人たちの顔を思い浮かべては、彼らの好きなところから、よくする癖のことまで話した。担当のプランナーさんは話を聞きながら、私たちの口から出るあだ名までも懸命にメモし、私たちと同じように最後までその呼び名で呼び続けていた。打ち合わせが重なるごとに、実施することが決まっていく。いや、決まりかねないことの方が多かった。「まだ納得できない」、「もっとこうしたい」と、たびたび言い続けていた気がする。それでも嫌な顔せず、「まほみさんのやりたいように」と委ねてくれた彼女は、歳が下とは思えないほど、肝が座っていて頼もしかった。


くるみボタンのドレスは、見た瞬間にこれだと思った。当初はドレスを着ることに億劫さを感じていたが「人生に一度きりしかない結婚式なのだから」と、旧友の母をはじめ、友人や母に背中を押されて、しぶしぶお店を訪れた。「理想のドレスはなんですか?」と聞かれる。シンプルな質問に戸惑いながら、それはまあ偉そうに「あまり好みではないデザイン」を述べる。ひと通り述べた後「わかりました、お待ちくださいね」と言われて登場するのが、あのドレスだった。リスが並べたようなくるみボタンの連なり、お母さんが持っていたハンカチのような刺繍と、動くたびに音が鳴るように光る粒子が、美しかった。お姫様のようなパニエも大きなリボンもなかったけれど、なんともそれが私らしいと思った。

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夏さながらに暑い5月、招待状という存在が、こだわりのスタートを切る。今の私の半分以上を形成する星野源にリスペクトをこめて、シングル『Crazy Crazy』のオマージュを決意。"CD風"を追い求めた結果、我ながら自分を恨みたくなるほど、凄まじい力量が必要となった。「式直前はこんな風になるのかな(大当たり)」と言い合いながら、家を紙いっぱいに溢れ返させ、ああでもないこうでもないと言いながら、"それでもやっぱりこれを形にしてみせたい"と、最後まで、やり尽くした。やってよかった。本や雑誌をこよなく愛し、形として手元に残すことに執着する私にとって、完全に自己満足ではあるが、これを作れてよかったと思う。6月、「会える人にはなるべく会って渡そう」と2人で決めると、カレンダーはその予定でびっしりと埋まった。式の前にみんなとご飯を食べながら、「楽しみだね」、「早く当日になってほしいね」と言い合えること、今思えば、戻りたいと思うほど懐かしく愛らしい。

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"夫が近寄ってこないな"と気がついたのが、準備の大詰めの頃だった。正直、楽しみで眠れないのではなく、不安と納得のいかなさで毎日の睡眠が浅いのを実感する。しかし諦めないぞと、何度もdeleteを押しては、キーボードとマウスパッドを叩いた。我慢強さは取り柄だが、その分人に優しくできなくなるのは紛れもなく短所。式直前は「果たしてみんなの前で誓いをたてられるものか?」と思わずにいられないほど、あまり微笑ましい雰囲気ではなかった(実は式前々日までろくに口も効いていなかった)。このままじゃ本当によくないと思い、我々の方法で仲直りすると、目に映る全ての光景が2倍速に感じるほど、バタバタっと当日になった。


「ものすごい暑いみたいだよ」と、会う人みんなが心配そうに言う。いいね、ものすごい寒いより最高だねと、全てにそう返した。このカンカン照りの中で、結婚式をあげることが夢だったんだ。それでも、瓶ビールや瓶コーラ(これも超こだわりの演出)を持って、汗だくでポージングを決めるみんなを見て、少しだけ「付き合わせてごめん」と思った。同時に、やはりとんでもなく良いなとも思う。この時期特有の鋭い自然光とみんなの笑い声が、同じ制服/体操着を着、自転車を漕いで帰ったあの日を思い出させた。

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もののけ姫のサウンドトラック『アシタカとサン』に見送られながら、大好きで大切な妹とバージンロードを歩いた。幸せだった。大好きで大切な人たちしかここにいない。とんでもなく幸せだった。冒頭、文章で表しますと言ったのに、それしか言葉が出てこない。途中、大粒の涙をこぼす旧友の姿が目に飛び込んでくると、私も同じ気持ちだよと呼応するように、涙が溢れてしまいそうになる。ドライブしながら考えた誓い、身体の一部となった指輪、関係性を表すようなハグと愛飲するコーヒーの香り、進んでいくセレモニー1つ1つ、みんなに見届けられ、「守られて」いるような気がしていた。遅い夏の午後、小さな教会での出来事。何にも変え難い、私の大切な宝物である。

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結婚式のテーマは、『LOVE,LATTERS&LONG CONVERSATIONS』という、少々真面目な/カッコつけたものにした。私たちは眠る前、コーヒーを飲みながらその日あったことを喋り続ける日常を大切にしている。周りから「2人はよく喋るね」、「2人いえばコーヒーのイメージがある」と言われることも多く、どんな場面でも等身大でいたい思い、『愛と、ラテと、長く続くおしゃべり』というテーマを設けた。そのテーマは、布屋さんで買ったオレンジ色の布に大胆に描き、半年以上かけて制作したこだわりのプロフィールブック(もはや2人のZINEだ)のタイトルにもした。いつも美味しいコーヒーを淹れてくれる友だちが、この日だけの特別なブレンドを作ってくれた。それを一杯ずつ、みんなに振る舞った。みんなは、自分たちらしい衣装を着てくれていたけど(とても素敵だった)、いつも会う時と変わらない様子で、そこにいてくれた。そんな様子を見ながら、ようやく私たちもコーヒーをひと口飲む。「いいね、美味しいね」、「最高だね」と言葉を交わした。私たちが大事にしている日常のひとときがあった。

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過ぎれば過ぎるほど、あれは夢だったんじゃないかと思う。時の経過が早過ぎる。あの日が離れていくことが、とても嫌だ。悔しくてたまらない。けれどそうもいかないから、あの日交わした言葉と目に焼き付けた光景、耳に入る音楽たちと蒸し暑い夜のガーデン、優しくて幻のような1日のことを、私たちはコーヒーを飲みながら思い出し、これからずっと語り合うのだと思う。眠る直前まで、ずっとずっと。

 


何もかも忘れたくないな。

いや、忘れないと言い切れる。忘れない。f:id:yotteiru:20250909212837j:image

糸のように手繰り寄せる

廊下からコーヒーの香りがする。

小学生の頃に通っていた、ピアノの先生のお家でも、同じ香りがしていた。大きなグランドピアノを纏う、豊かで大人な香り。帰り道、服と指先にほのかについたそれが、私の背を随分と高くした。次第に集中力が解けるような感覚が、大人から子に戻る合図のようだった。


廊下からコーヒーの香りがするというのはつまり、香りが廊下から寝室のドア、約2〜3mmの隙間をくぐっているということ。糸を手繰り寄せるようにその先を探すと、そこにはリビングのこたつにちょこんと座り、コーヒーと映画のペアリングを愉しむ彼の姿が見える。作品名は...、ああ、またこれを観ているのね。と言いたくなる、彼のお気に入りだ。何度も観ているはずなのに、初めて映画館に一人訪れたように、集中力と若干の緊張感を持って臨んでいる。その横顔は、私の好きな景色のひとつ。凛としていて、高い鼻筋がより高く見える。そこで、ねえねえ、と声をかければ、彼はリモコンを操作してから、どうしたの?とこちらを向くのだろう。なんでもない、と、用がないことを伝えれば、私の名前を呼びながらにこりと笑うのだろう。遠くで母を見つけた子どものように。


漂ってきたコーヒーの香りの答えは、集中力と、時空や姿を歪ませる魔力だ。ひと足先に今日は眠ろうと、私は寝室で横たわり、これを書いている。目を瞑り、この香りに誘われ、向こうにいる彼のことを想像しながら。

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正解のない音楽の象徴

 高校時代に所属していた吹奏楽部は、県内で5本指に入るほどの実力を持つ強豪部活だった。
「高校時代の思い出は?」と聞かれたら「吹奏楽部です」と即答できるほど、毎日が音楽三昧だった。シャープペンシルより、楽器を持っていた時間の方が圧倒的に多い。先輩は怖かったし、後輩は大勢いて、いつも誰かの楽器の音が聴こえた。

 そして先生は、音楽を具現化したような人だった。

 普段は物静かで口数は少なく、何を考えているのかわからない。先生に対する正解がわからない。だから近づくのが怖くて、先生がいる部屋に入るだけで、緊張で手足が震えた。人づてに「先生が呼んでいた」などと聞けば「自分は一体何をしてしまったのか」と、記憶の隅から隅までを辿ることになった。ドアをノックして、一礼し、先生の目を見る。あまり眠れていないのかとお節介を焼きたくなるほど真赤な目を見つめて、唾をゴクリと飲む。結果としてそれが頼み事であったり、何かの打ち合わせだったりと、”怒るために呼ばれたわけではない”ことがわかっても、先生と対面して話すことには、独特の緊張感があった。単にローテンション/オープンではない性格だった、ということだけでなく、当時の私たちにとって先生は、ドアを開いたそのまたドアの向こうにいる、遠い遠い存在だったのだ。

 先生が指揮台に立って、楽器を構える合図をした瞬間から、私たちは先生が降ろした膜のようなものの中に取り込まれた。音楽が鳴りだすと、先生と自分、先生と音との、1対1の会話のようなものが始まる。楽譜に書いてある音楽記号を読まずとも、次にやればいいことが理解できる。これが何にも変え難い感覚なんだ。決して失敗してはならない緊張感と、それを表せたときの心地の良さ。今の私たちにはもうこれが経験ができないと思うと「もっとあの瞬間を大事にすればよかった」と、つい悔やんでしまう。

 だから、練習がきつくても、人間関係が最悪な時でも、自分が嫌いでも、毎日あの部屋に足を踏み入れていたのだと思う。

 

 そんな先生が今年の春、十数年の時を経て、別の場所に移ることになった。
 今日、同期で母校を訪れ、先生にお別れの挨拶をしに行った。先生は私たちに、現役の部員たちに向かって自己紹介を勧めると、全員の前で話を始めた。

 「君たちは懐かしい代だね。そういえば先日現役の部員から『この十数年の中で、1番印象に残っている演奏は?』という質問をされました。真っ先に、君たちが最後のコンクールで演奏した<カヴァレリア・ルスティカーナ>を思い出した」。私たちの代は、”これで金賞を取らなければ引退”というコンクールで、この歌劇を演奏した。失敗が許されない本番。音が鳴り出してすぐ、ソロを任された同期がたった1音を外してしまうというハプニングが起きた。幸い、すぐに立て直したのだけど、舞台上の全員が「もうだめだ」と思ったのと同時に「それでもまだ、先生との音楽を終わりにしたくない」という気持ちが溢れ出し、審査員に「音楽は気持ちだ。あんなに心打たれる演奏を聴いたことがない」と言わせてみせた、そんな演奏。結果は金賞ではなくて、私たちは散ってしまうことになるのだけど、その後ずっと、ずっとずっと、先生が降ろした膜から出られずに、しばらく「あれ以上の演奏はできない」と、自画自賛していたものだった。

 それが、何百曲、何千曲(もっとかもしれない)の指揮を振り、何百人、何千人(同じくもっとかもしれない)の指導をしていた先生にとって、1番印象に残っている演奏…。 これだけで、練習がきつくても、人間関係が最悪な時でも、自分が嫌いで、楽器が嫌いな時でも「やめる」という選択をしなくてよかったと、心の底から思う。

 

 「君たちが1番記憶に残っている思い出は?」という先生からの質問には「とあるコンサートのリハーサルです」と、我々の代の部長が真っ先に返答した。(あまり具体的には記載できないが)とある挑発的な講師に、私たちの同期が反発したという出来事。それも他校の生徒を交えた100人近い人が集まる中で。「そんなことあったね~!よく覚えているよ」と、先生はケラケラと笑った。その後私たちはこてんぱんに怒られることになり、部長は「謝りに行かせられた」と不服そうに嘆いたが、「でもね」と先生は笑うのをやめて話し始めた。「でもね、当時はこんなこと言えないし、今も秘密だけど(ごめん先生!やんわり書いているから許して!)、ああやって反発したい気持ちもよくわかるんだよ。だってそれくらい、部員を挑発する指導だったと思うから。でもね、こうして先生をしているからわかることなんだけど、残念なことにやっぱりああいう講師は多い。恐怖で支配して、技術を向上させるー、大きい音を立てたり、そんな下手なら死んじゃえって言ったり。今でも強豪校ではそんな指導が主流だったりするからね」

 先生、そうだったんですか。当時そんな風に思っていたんですか。じゃあなんでそれを言ってくれなかったんですか。と、私はやや複雑な気持ちで先生の話を聞いていた。先生は、そうやって恐怖で支配して、技術を向上させるやり方は嫌だったのか。でも当時の私たちにとって、先生は怖くて接し難く、雲の上のような存在だった(※大きい音は立てないし、死ねなんて聞いたことないけど!)。なんとも矛盾している気がして「でも当時は怖かったですよ」と言いたかったが、先生は「ま、当時はみんなにとって怖い存在だったかもしれないけどね」と、軽く足踏みするように付け足した。

 

 「たとえ怖い存在だったとしても、決してそういう指導はしたくなかった」と先生は改めて言った。
 「だから自分はこの十数年間を、”実験のような日々だった”と思っているんですよね。恐怖で支配する先生はたくさんいる。でも、それ以外の方法で、どうにか結果を残すことはできないだろうかとずーっと考えていた」

 元編集者として「この十数年間をひと言で例えると?」と聞きたいところだったが、先生がそのアンサーを自分から話してくれると、元編集者として「この話をなんとか書き起こしておきたい」と思わずにはいられず、ここでこのルポを書くことが決まる。

 何かを考えるように少し間を置いて、先生は続きを話し始めた。「まあ、先日のとある大会で結果を残せていない時点で、その実験は失敗ということになるんだけど。やっぱり、その指導方法が結果を残せないかと言われたら、そうじゃないんだ。みんなが素直に厳しい指導を受け止めて、なんとかそれに応えようとするから、金賞・全国大会出場と、結果を残すことができてしまう…」

 「でも」、(こう思うと、先生は「でも」が多い)「でも自分は、どんなに結果が残せる指導方法だとわかっていても、そういう方法で音楽をしたいとは1つも思わないんですよ。結果も大事だけど、自分は恐怖でみんなを支配しながら、音楽はしたくなかった」

 散々先生のことを「怖い」と言っていたけど、ここでそれを訂正する。先生はずっと怒っていたわけではなくて、単純にいつもローテンションで、オープンではない性格だっただけ、なんだ。そして先生は今よりももっとカリカリとしていて、私たちは怒られるようなことを多くしていただけ、なんだと思う。本当にそれだけなんだ。先生を恐怖の象徴には思えなかったのも、今思えば納得する。先生はずっと、正解のない音楽の象徴だった。

 

 最後に先生は「やっぱり楽しかった」と、改めてそう言った。
 あまりにも忙しかったけど、楽しかったと。
 「時々お偉い方たちに『先生、働きすぎだから休んでくださいね』と言われることがあったんだけど、俺はそういう時、本当に腹が立ったんだよ。なんでかはわからないんだけどね。多分、性格だね。だから十数年間ずっと走り続けることになったんだろうね」

 先生はまたケラケラと笑って、私たちに「ずっと仲良くね」と言った。
 私たちは帰り道「先生がいる母校にもう来ることはないんだね」と言いながら「またみんなで先生がいる場所に会いに行こう」と言った。

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さっきよりももっと大切でくだらない話

つるっとした手触りの箱を開けると、ブルーベリーの甘い香りがする。子どもの頃、車を運転する父親が噛んでいたガムみたいな香り。子どもみたいに、どれにしようかなんて選ばない。ライターを握り締めた手で1本を掴み、いつの間にか箱はポケットの中へと戻る。夏はそんなこともないんだけど、風が音を立てて吹く時間が長い冬は、火も揺れ、さすがのヘビーユーザーでも利き手じゃない方の風避けは絶対だ。


昔働いていたバイト先の店長が、どんなに混んでいても「深呼吸してくる」と言って、5分くらいいなくなる時があった。ひと口目、大事に吸って、吐く。とんがらせて緩まる口が愛らしい。ピーク時に空席を作る店長に「何が深呼吸だよ」という内側で呟いた独り言は、言えなくなってしまった。ブルーベリーの香りなんてしない煙を浴びながら、同じように肩を動かした。横隔膜が上がって下がるのが久しぶりに分かって、自分の身体に申し訳なく思う。だから彼らは、この時間を意図的に過ごすのか... そう思ったら、嫌な顔をしながら、いつの間にかこの時間に同席するようになっていた。


ベランダを開けるやかましい音が聞こえたら、その時間のシグナル。寒いのに、暑いのに、雨が降っているのに、虫がいるのに、さっきまでくだらない話をしていたのに。会話と会話が途切れる、ふとした瞬間に目配せして、何も言わずにベランダへと向かう。家のベランダはせいぜい2人が定員。彼らがいなくなると、忙しなく動かしていた口や手が止まり、こちらもゆっくりと呼吸...いや、深呼吸をする時間となる。窓ガラス1枚越しの2人は、深呼吸をしながら何を話す?さっきよりもくだらない話、さっきよりももっと大切でくだらない話、なのだろう。

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おはぎ→はぎ

"はぎ"、と名づけたのは、我が家の先住猫5匹がきなこ、もち、ごま、ずん、つぶ(+5匹に加えてもう1匹、ひいきにしている外猫をあん)と、"おはぎ"にちなんだ名前を持っており、おはぎってただでさえバリエーションが少ないのでもうネタがなく、「じゃあもう"おはぎ"でいいか」となったことから。男の子だったし、"はぎ"と呼ぶことになった。

 

猫を飼っている方なら、首を大きく縦に振ってくれるはず。愛猫を遠くから呼ぶ時、いや、遠くでなく至近距離で呼ぶ時の方がシチュエーション的には多いかもしれない...もはや猫の名前は原型を留めないでしょう?きなこは「きなちゃん→きなち→きなぽん→きなぽ」だし、ごまは「ごまごま」とか。もちは「もっちゃん→もちん→もちまる→もったん」だったりで、ずんは「ずんずん→おずん」だったり。つぶに関しては「ちむりん」などと呼ばれているわけで。そしてその名前を発している声なんかは甲高く、赤ちゃんに話しかけるかのように甘い。

 

はぎはね、「はぎはぎ」とか「はぎくん」とか、先住猫に比べれば、あんまりクセのない呼び方をしていたと思う。それはまだ、はぎと一年しか暮らしておらず、きっとこれから「→」が続くと過信していたせい。

 

はぎは、我が家よりも適した環境で、我が家よりもたんまりの愛情を独占できるお家で飼われることになった。

 

はぎは先住猫となかなかうまくいかなくて、主に猫の面倒を見る母はすごく手を焼いていた。すぐに猫を追いかけたり、トイレを邪魔したり、寝ているところを襲ったりした。きなこはしょっちゅうシャーシャーと声をあげて威嚇していたし、ごまは膀胱炎になってしまった。はぎがこたつで寝ていると、誰もそこに入らなかった。

 

「コラ!はぎ!」と、母がよく声をあげた。

はぎはとても賢い猫なので、怒られていることは一瞬で理解できた。だけど賢い猫なので、怒られたからやめる、ではなく、怒られたら怒られてもやることができた。だから、はぎはもっと怒られた。

 

もちろん、母を含む私たち家族は、はぎを先住猫と同じくらいに愛していたし、大好きだった。ただ、ちょっと手を焼いていただけ。はぎは2022年1月4日に突然我が家に現れて、外猫のあんちゃん用にと玄関の内側に置いていた簡易ベットを横取りし、その数日後、自分で玄関の引き戸を開けて、私が眠る布団までやってきてみせた。

ちょんちょん、と小さなふわふわな物が私のおでこを叩いたので、当然猫の誰かだろうなんて目を開けたら、はぎだった。外猫のあんちゃんと同じように接していた、黒と白のハチワレの猫。「外猫が家に入ってきた!?」と驚いて、はぎを抱えて朝5時に眠る家族を叩き起こした。はぎのその、人間と人間の生活に慣れている様子と、手で叩けば人間が目を覚ますことを知っている賢さと愛らしさは、「この子を家で飼おう」という判断に迷いを与えなかった。

 

そこから一年が経過したんだと思うと、時はあまりにも早い。

 

ふかふかの布団とこたつ、人が食べている物、レーザーポインターで遊ぶこと、寝ている人の隣で眠ることが好きだった。二階で眠っていたと思ったら、トントンと軽い足音で階段を降りてきて、寝ぼけ眼で水を飲み、少し外を眺めたら、またすぐ日の当たる温かい場所で眠る。これがはぎのルーティンだった。人(猫)一倍、何をするにも音を立てたので、はぎが生活している音が、今でも鮮明に残っている。思い出しては愛おしくて、そしてまた一度でいいからそれを聞きたくて、泣きそうになる。

 

はぎの幸せのために決めたことだと、みんなで腑に落ちようとした。はぎが新しく暮らす家族からは、毎日のようにはぎが生活している様子が送られてくる。過去に保護猫を何匹も飼っていた家で今は猫を飼っておらず、「子猫は大変だから少し大人な保護猫がいれば」なんて譲渡会にも参加していたというお家だ。だから安心だし、そんなに遠い場所でもないので、希望すれば会うことだってできる。

 

だけど、ふとした時に「はぎに会いたいな」と思ってしまう。あの足音や鳴き声が聞きたい。

もっと遊んであげればよかった、もっと名前を呼んであげればよかった。そう思いながら、はぎの幸せと健康を願う。この時のこの気を忘れぬよう、ここに記録する。2023年2月14日

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雑な占い、ネモフィラの青

 

今週のはじめは、酷く苦しかった。

「続いていたものが終わります」。ふと見た雑な占いのその一文が纏わりついていた日、確かにそれは命中した。お見事。もしかしたらあの雑な占いはこれから先続く自分の未来をもズバズバと当てていくのではと思いSNSを辿ったが、見つけることはできなかった。

しかし、自分の切り替える力の強さや、時間を無駄にしてたまるかという意地、わたし自身をわたしが大事にしないでどうするんだという怒り、母から譲り受けたこれらの遺伝子には驚く。酷い苦しみから一段落着くまで、時間はかからなかった。やがて、終わってしまった続けていたことへ割いていた時間や労力を、仕事、趣味嗜好に費やす。さっきも、ずっと読もう読もうと溜め込んでいた本を一冊、一時間かからずに読み終えて、本の余韻に浸りながらレモン味の強炭酸を飲むと、"私にはこの時間がなくてはならない"と思わずにはいられなかった。

終わったことに未練はなく、否定も肯定もない。

あの海の側で見たネモフィラの花や、12時間がたったの2時間で過ぎてしまう変な感覚、よく放った言葉たちを、ふと呪いのように思い出せばいいと、ただそう思うだけである。

 

読み終えた本は、映画にもなっているんだ。

明日仕事を終えたら観に行こうと思う。

[半分はフィクション 半分はノンフィクション]

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揺らぎ

夕刻。人声に招かれて、自室から一階のリビングへと向かった。戸を開けると、リビングを大きく包み込んでいるストーブから焚かれた温風が、私のいる冷たい廊下へと流れ込む。「気持ち悪い」と思った。気づけばそれを声に出していて、そこに居た人に「何が?」と問われた。

「ここの空気、最悪だよ。温かいけど、良い空気ではない」

「ほんとう?ちょっと換気しようか」

私のしかめ面を見たその人が、思い切り窓を開けた。廊下とはまた違う冷たさを纏った外の空気が、瞬く間にリビングを制した。

「揺らぎ、だ」

その人はそう呟き、ずっと居たんだろう、その場所からよいしょと、別の場所に身を動かした。

「揺らぎ?」

「人はこの揺らぎがないと駄目なんだ。気配が変わるのを感じると、胸が動いて神経が自律する」

「例えば?」

私とその人は、そこから例え話をする。揺らぎに該当し得る全てのことを羅列して、それを体験したことがあるかどうかを、互いに知らせて。

 

その人は、訪れた森で、植物の生を感じた時だと話した。歩いていたら突然、"ここからは人の入る区域ではない"と感じるラインがあったそう。その時に吹いた風が植物をざっと揺らして、植物が生きていることを全五感で感じたのだと。

 

そんな神秘的な体験を話されてしまえば、その後私から出る話は大したことがなかった。自身の気分転換のために淹れたコーヒー、触れる空気が澄んでいる。

 

積雪した朝、猫を抱いて外を歩いた。雪降る中、猫を抱いて外を歩いたことは無く、腕の中、体温を持つ猫が、空から降る雪を不思議そうに見つめて、やがて寒さに弱いことを周知するように震え出したとき、本来はこの雪に打たれぬよう何処か屋根を探して雨宿りしていたのだ、あの時出逢っていなければ、この子は今私の腕の中で震えることもなかったかもしれないと思った。今朝、知人の猫が死んだ話を聞いて、涙で腫らした目で、この子を見つめる。この子が愛おしくてたまらないという気持ちが、冷えた身体を満たしていく。

気が揺らいでいく。

 

揺らぎ、揺らいでいく。

 

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