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思いついたときにただ色々書いています

さっきよりももっと大切でくだらない話

つるっとした手触りの箱を開けると、ブルーベリーの甘い香りがする。子どもの頃、車を運転する父親が噛んでいたガムみたいな香り。子どもみたいに、どれにしようかなんて選ばない。ライターを握り締めた手で1本を掴み、いつの間にか箱はポケットの中へと戻る。夏はそんなこともないんだけど、風が音を立てて吹く時間が長い冬は、火も揺れ、さすがのヘビーユーザーでも利き手じゃない方の風避けは絶対だ。


昔働いていたバイト先の店長が、どんなに混んでいても「深呼吸してくる」と言って、5分くらいいなくなる時があった。ひと口目、大事に吸って、吐く。とんがらせて緩まる口が愛らしい。ピーク時に空席を作る店長に「何が深呼吸だよ」という内側で呟いた独り言は、言えなくなってしまった。ブルーベリーの香りなんてしない煙を浴びながら、同じように肩を動かした。横隔膜が上がって下がるのが久しぶりに分かって、自分の身体に申し訳なく思う。だから彼らは、この時間を意図的に過ごすのか... そう思ったら、嫌な顔をしながら、いつの間にかこの時間に同席するようになっていた。


ベランダを開けるやかましい音が聞こえたら、その時間のシグナル。寒いのに、暑いのに、雨が降っているのに、虫がいるのに、さっきまでくだらない話をしていたのに。会話と会話が途切れる、ふとした瞬間に目配せして、何も言わずにベランダへと向かう。家のベランダはせいぜい2人が定員。彼らがいなくなると、忙しなく動かしていた口や手が止まり、こちらもゆっくりと呼吸...いや、深呼吸をする時間となる。窓ガラス1枚越しの2人は、深呼吸をしながら何を話す?さっきよりもくだらない話、さっきよりももっと大切でくだらない話、なのだろう。

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おはぎ→はぎ

"はぎ"、と名づけたのは、我が家の先住猫5匹がきなこ、もち、ごま、ずん、つぶ(+5匹に加えてもう1匹、ひいきにしている外猫をあん)と、"おはぎ"にちなんだ名前を持っており、おはぎってただでさえバリエーションが少ないのでもうネタがなく、「じゃあもう"おはぎ"でいいか」となったことから。男の子だったし、"はぎ"と呼ぶことになった。

 

猫を飼っている方なら、首を大きく縦に振ってくれるはず。愛猫を遠くから呼ぶ時、いや、遠くでなく至近距離で呼ぶ時の方がシチュエーション的には多いかもしれない...もはや猫の名前は原型を留めないでしょう?きなこは「きなちゃん→きなち→きなぽん→きなぽ」だし、ごまは「ごまごま」とか。もちは「もっちゃん→もちん→もちまる→もったん」だったりで、ずんは「ずんずん→おずん」だったり。つぶに関しては「ちむりん」などと呼ばれているわけで。そしてその名前を発している声なんかは甲高く、赤ちゃんに話しかけるかのように甘い。

 

はぎはね、「はぎはぎ」とか「はぎくん」とか、先住猫に比べれば、あんまりクセのない呼び方をしていたと思う。それはまだ、はぎと一年しか暮らしておらず、きっとこれから「→」が続くと過信していたせい。

 

はぎは、我が家よりも適した環境で、我が家よりもたんまりの愛情を独占できるお家で飼われることになった。

 

はぎは先住猫となかなかうまくいかなくて、主に猫の面倒を見る母はすごく手を焼いていた。すぐに猫を追いかけたり、トイレを邪魔したり、寝ているところを襲ったりした。きなこはしょっちゅうシャーシャーと声をあげて威嚇していたし、ごまは膀胱炎になってしまった。はぎがこたつで寝ていると、誰もそこに入らなかった。

 

「コラ!はぎ!」と、母がよく声をあげた。

はぎはとても賢い猫なので、怒られていることは一瞬で理解できた。だけど賢い猫なので、怒られたからやめる、ではなく、怒られたら怒られてもやることができた。だから、はぎはもっと怒られた。

 

もちろん、母を含む私たち家族は、はぎを先住猫と同じくらいに愛していたし、大好きだった。ただ、ちょっと手を焼いていただけ。はぎは2022年1月4日に突然我が家に現れて、外猫のあんちゃん用にと玄関の内側に置いていた簡易ベットを横取りし、その数日後、自分で玄関の引き戸を開けて、私が眠る布団までやってきてみせた。

ちょんちょん、と小さなふわふわな物が私のおでこを叩いたので、当然猫の誰かだろうなんて目を開けたら、はぎだった。外猫のあんちゃんと同じように接していた、黒と白のハチワレの猫。「外猫が家に入ってきた!?」と驚いて、はぎを抱えて朝5時に眠る家族を叩き起こした。はぎのその、人間と人間の生活に慣れている様子と、手で叩けば人間が目を覚ますことを知っている賢さと愛らしさは、「この子を家で飼おう」という判断に迷いを与えなかった。

 

そこから一年が経過したんだと思うと、時はあまりにも早い。

 

ふかふかの布団とこたつ、人が食べている物、レーザーポインターで遊ぶこと、寝ている人の隣で眠ることが好きだった。二階で眠っていたと思ったら、トントンと軽い足音で階段を降りてきて、寝ぼけ眼で水を飲み、少し外を眺めたら、またすぐ日の当たる温かい場所で眠る。これがはぎのルーティンだった。人(猫)一倍、何をするにも音を立てたので、はぎが生活している音が、今でも鮮明に残っている。思い出しては愛おしくて、そしてまた一度でいいからそれを聞きたくて、泣きそうになる。

 

はぎの幸せのために決めたことだと、みんなで腑に落ちようとした。はぎが新しく暮らす家族からは、毎日のようにはぎが生活している様子が送られてくる。過去に保護猫を何匹も飼っていた家で今は猫を飼っておらず、「子猫は大変だから少し大人な保護猫がいれば」なんて譲渡会にも参加していたというお家だ。だから安心だし、そんなに遠い場所でもないので、希望すれば会うことだってできる。

 

だけど、ふとした時に「はぎに会いたいな」と思ってしまう。あの足音や鳴き声が聞きたい。

もっと遊んであげればよかった、もっと名前を呼んであげればよかった。そう思いながら、はぎの幸せと健康を願う。この時のこの気を忘れぬよう、ここに記録する。2023年2月14日

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雑な占い、ネモフィラの青

 

今週のはじめは、酷く苦しかった。

「続いていたものが終わります」。ふと見た雑な占いのその一文が纏わりついていた日、確かにそれは命中した。お見事。もしかしたらあの雑な占いはこれから先続く自分の未来をもズバズバと当てていくのではと思いSNSを辿ったが、見つけることはできなかった。

しかし、自分の切り替える力の強さや、時間を無駄にしてたまるかという意地、わたし自身をわたしが大事にしないでどうするんだという怒り、母から譲り受けたこれらの遺伝子には驚く。酷い苦しみから一段落着くまで、時間はかからなかった。やがて、終わってしまった続けていたことへ割いていた時間や労力を、仕事、趣味嗜好に費やす。さっきも、ずっと読もう読もうと溜め込んでいた本を一冊、一時間かからずに読み終えて、本の余韻に浸りながらレモン味の強炭酸を飲むと、"私にはこの時間がなくてはならない"と思わずにはいられなかった。

終わったことに未練はなく、否定も肯定もない。

あの海の側で見たネモフィラの花や、12時間がたったの2時間で過ぎてしまう変な感覚、よく放った言葉たちを、ふと呪いのように思い出せばいいと、ただそう思うだけである。

 

読み終えた本は、映画にもなっているんだ。

明日仕事を終えたら観に行こうと思う。

[半分はフィクション 半分はノンフィクション]

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揺らぎ

夕刻。人声に招かれて、自室から一階のリビングへと向かった。戸を開けると、リビングを大きく包み込んでいるストーブから焚かれた温風が、私のいる冷たい廊下へと流れ込む。「気持ち悪い」と思った。気づけばそれを声に出していて、そこに居た人に「何が?」と問われた。

「ここの空気、最悪だよ。温かいけど、良い空気ではない」

「ほんとう?ちょっと換気しようか」

私のしかめ面を見たその人が、思い切り窓を開けた。廊下とはまた違う冷たさを纏った外の空気が、瞬く間にリビングを制した。

「揺らぎ、だ」

その人はそう呟き、ずっと居たんだろう、その場所からよいしょと、別の場所に身を動かした。

「揺らぎ?」

「人はこの揺らぎがないと駄目なんだ。気配が変わるのを感じると、胸が動いて神経が自律する」

「例えば?」

私とその人は、そこから例え話をする。揺らぎに該当し得る全てのことを羅列して、それを体験したことがあるかどうかを、互いに知らせて。

 

その人は、訪れた森で、植物の生を感じた時だと話した。歩いていたら突然、"ここからは人の入る区域ではない"と感じるラインがあったそう。その時に吹いた風が植物をざっと揺らして、植物が生きていることを全五感で感じたのだと。

 

そんな神秘的な体験を話されてしまえば、その後私から出る話は大したことがなかった。自身の気分転換のために淹れたコーヒー、触れる空気が澄んでいる。

 

積雪した朝、猫を抱いて外を歩いた。雪降る中、猫を抱いて外を歩いたことは無く、腕の中、体温を持つ猫が、空から降る雪を不思議そうに見つめて、やがて寒さに弱いことを周知するように震え出したとき、本来はこの雪に打たれぬよう何処か屋根を探して雨宿りしていたのだ、あの時出逢っていなければ、この子は今私の腕の中で震えることもなかったかもしれないと思った。今朝、知人の猫が死んだ話を聞いて、涙で腫らした目で、この子を見つめる。この子が愛おしくてたまらないという気持ちが、冷えた身体を満たしていく。

気が揺らいでいく。

 

揺らぎ、揺らいでいく。

 

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無線イヤホンの充電器、屋根に登る猫、末っ子。

 

 充電器のコードには色々種類がある。例えばiPhoneはLightningケーブル、ノートパソコンなどには USBType-Cケーブル、AndroidやワイヤレスイヤホンなどはmicroUSBケーブルが使われる。冬場はやっぱり空気が乾燥していて喉が痛むので、モバイル加湿器が必要だった。自身の部屋の、その山ほどあるケーブルの中から、加湿器を充電するmicroUSBケーブルを探す。 だがすぐに見当たらない。というか、そこにない。となると、すぐに犯人探しを実行する。

「妹(実際には名前で呼んでいる)、microUSBケーブルを知らない?」

「マイクロユーエスビー?なにそれ」
「イヤホンとか充電するときに使うやつ」
「あ〜」

 所詮、microUSBケーブルという単語を出したところで、高校1年生の妹の検索ワードにはヒットせず、 勝手に持ち出したことへの代償として、「microUSBっていう単語も知らないのかよ」と、嫌味を言った。

 ここまでの話を、順を追って説明しないと、誤解を生むことになる。


 その日の朝、母は自身専用のワイヤレスイヤホンの充電器(母もmicroUSBなどという単語は知らない)を 探していた。家族全員に事情聴取して、最後に私のところへとやってくる。

「ねえ。お母さんのイヤホンの充電器、どこにやった?」
「イヤホンの充電器?」
「あの黒いコードだよ」
 いや、それはわかる。microUSBね。
「妹(名前)に聞いたらさ、あんたが持っていったって」

 いや、それはわからない。過去の記憶を辿っても、母のワイヤレスイヤホンの...いや、microUSBケーブルを持っていった記憶がない。俺は白だ。これは誰かの完全犯罪に過ぎない。 なんとか弁明を続けた。「いや、私じゃないよ。だって何のためにそのケーブルを持っていくの?」「私の分だけで、この量のケーブルがあるんだよ...」、喋りながら、(上記に記載した)昨日の出来事を、妹がテキトーに話したことを悟る。

 洗濯物を干しながら「みんなママの物を勝手に持っていって、平気で無くすんだから」と、ボソボソと愚痴を言う母にタイムをもらい、犯人の妹の所へと向かう。 みんな朝は忙しい。通学前、支度する妹に「妹よ、お前はわかってない」「あの母親に説明をきちんとしないことが」「いかに冤罪を生むか」、そう問い詰めた。だが我が家の妹は、これはこれは末っ子ガール、 知識のある赤子、 平気で「何のこと?」と言うのだ。冤罪を突きつけられ、加えて証言者さえ捕まらない私自身の怒りのボルテージも、最高潮に到達しようとしていた。

 そうして、晴れて私は無実放免されず、瞬く間に完全犯罪者になった。「なんとかしろよ」と一言母に勇気づけられ、私はしばらく、黙秘を続けることにした。


 で、我が家で飼っている5匹の猫の末っ子(通称つぶちゃん)が、家の屋根に登る。

 母の「やばい!!!」という叫びが聞こえる。

 黙秘権を使っている私は、そんな出来事なんてスルーだ。なんせ、母が猫を逃す(屋根に登らせる)のは今 回が初めてではない。洗濯物を干しながら、サンルームとベランダの戸を閉め忘れ、何度もこのつぶちゃんを脱走させた。その度に<つぶちゃんベランダ出禁宣言>を声明してきたのに、未だ実施されていない。

 だが今までは、二段階ある屋根の一段階目にしか登れていなかったし、母はその度に救出できていたから、まあせいぜい今回もレスキュー頑張れと思いながら、スルーを続けていた。しかしあまりの騒ぎっぷりに次第に心配になって、自分の部屋からベランダを覗いた。つぶちゃんは、そこにいない。そこにいないということはつまり、見事二段階をクリアした、ということだ。

「だめだ。チュールでもおもちゃでも、名前を呼んでも降りてこないし、なんなら姿が見えないから、もしかしたら反対側まで行ってるのかも...さっきカラスが2匹くらい飛んでたし、つぶちゃん小さいから連れて行かれちゃったかも...さすがに屋根の上は登れないから、どうしようもない...」

 先ほどの私への怒りはどこへ消えたのか、母は珍しく悲観的な様子だった。私はその姿に、逆に怒りが込み上げてきて、「じゃあ私が屋根に登る」と言った。他の4匹の猫たちが、心配そうにベランダから屋根を見つめて「ニャーニャー」と鳴く。これは「なんとかしろよ!」というガヤなのか、もしくは煽りなのか。

 「いや、お母さんがいく」、そんな私の威勢に影響されてか、猫たちの煽りを受けてか、母の闘争心に火 がついたのか、先ほどまでの諦めは消え、物の数秒で一段階目の屋根に登る母。私はこの人の子供だ、と感 心して、microUSBの件は許してやろう、あとで一緒に探してやろうとまで思えた。しかも、「これは記録になるから」と、救出の様子を動画に撮れと言うのだ。

 つぶちゃんも所詮、好奇心旺盛な”家猫”なので、”外猫”とは違い、屋根の上からの景色に圧倒されている ようだった。目の前に見たことのない世界が広がっているのは、好奇心と感動を生むのと同時に、恐怖も生む。結果的に「怖い」「助けて」と、母のところまで降りた。失敗は許されない、ギリギリまで待って、見事に救出は成功した。

 

 「もーー!つぶちゃんのばか!!!」

 家族全員で、つぶちゃんの捕獲成功を喜ぶとともに、つぶちゃんのオテンバさに手を焼いた。もうこれ以上、<つぶちゃんベランダ出禁宣言>を許してはいけない。許した暁には、全責任は母にある。文句と公約を言うと、この懲りない母、「でも、他の猫は屋根に登ったりしないのに、外で日向ぼっこできないのはかわいそう」とか言うんだ。この人、つぶちゃんと同じくらい懲りない。

 「でもそうだね。これでつぶちゃんが屋根から死んじゃったら、実のお兄ちゃんである”ずん君”がかわい そうだもんね。ママが救出しているとき、ずっと足元で心配そうだったもん」

「唯一の可愛い妹を失ったら悲しいよ」

「ずん君だけじゃなくて、家の末っ子猫がいなくなったら、”きなこ”も、”もち”も、”ごま”も、悲しいよね」

 母はそう自分に言い聞かせた後、<つぶちゃんベランダ出禁宣言>を、重く再宣言した。

 

 冤罪問題、救出作戦、2つの出来事が一瞬で片付いた後、見事、microUSB...母のワイヤレスイヤホンの充電ケーブルも見つかり、事態は穏便に終わりを迎えた。しかし、どちらも<末っ子>が巻き起こした事件 であったが、その両者共が反省する様子も未だない。これからも我が家は、この<末っ子>という存在に手を焼き続け、命がけで葛藤していく。

 

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子猫の抱擁

 雨の降る神社で抱いた子猫のことを想った。

 たった一言、自分の性別に関わることを言われた時、私は憎悪と怒りに押しつぶされ、今にもこの人に向けて罵声を挙げそうになった。だけどそれは決して誰も得をしないことを分かっていたから、「失礼だな~」などと半笑いを見せ、そうして去って行く背中を、何度も何度も刺す想像だけをした。

 やがて、雨の降る神社で抱いた子猫を想った。

 子猫は、長いワンピースに爪を引っ掛けて、懸命にその布を渡った。そうして辿り着いた肩に頭を乗せて、されるがままに撫でられた。夏が終わり秋が導く、ぐんと下がった気温と反して、子猫の温もりはどこまでも温かい。子猫は帰路に着こうとする車の中までやって来て、やっぱり布を渡ろうとするが、私は子猫を抱くしかできず、連れて行くことはできなかった。ミラーに映る子猫をずっと覚えていることしかできなかった。

 こうして後悔というものは生まれるのか。

 私はこの子猫のことを、日記に、あの日から毎日、毎日書き続けている。 ”子猫は今どうしているだろうか”、”どうか元気でいてほしい”、”神様に守ってもらえますように”、と。 多くの参拝者が訪れる神社だから、きっともう誰かに飼われているかもしれないし、まだ飼われていなくとも、私を忘れて楽しくやっているかもしれない。それがいい。そうでいて欲しい。私はこの出来事を後悔ではなく、自分らしい愛護だと思うようにした。そうして、自分が今一緒に生きている猫たちと同じように、毎日あの体温を思い出して抱擁しようと。 だから「女らしくないのに?」とたった一言を言われたとき、私は子猫に救いを求めたんだ。あの小さな子猫から伝う体温を忘れられないように、誰かを愛おしく考える気持ちに祈りを託した。

 貴様を気にして女らしくしなければならないのか?
 女らしくない人が恋をしてはいけない?
 恋をすることに決まりなんてあるのだろうか?

 子猫の性別を知ろうとも思わなかった。この子が好きなところで、好きな人と一緒に、好きなように 生きてさえくれば、女の子だからこんな性格で、男の子だから虚勢手術しなきゃかなんて、考えもしなかった。降る雨がまだ冷たくないうちに、温かく眠れる寝床を見つけられているといい。f:id:yotteiru:20210905001105j:image

まん丸ビー玉

 わたしは承認欲求がとても高いから、こうして時折自分の話をお気に入りの手帳みたいなブログに書き留めては掲載しないと、何かとうまくいかないのである。ただのブログのことを”お気に入りの手帳みたいなブログ”とわざわざ言い換えるのは、小袋成彬が自身の曲”E,Primavesi”で、<あの言葉はお気に入りの嘘つきな君のブログにでも書きなぐるべきなのに>と歌うのを聞いて、なんかそれいいなと思ったから。この曲の<この世は全てがフィクション>という歌詞も好き。彼は以前インタビューで「自分の体験したことを歌にするだけ」と言い切っていたから、きっと<この世は全てがフィクション>で、私のブログも<お気に入りの嘘つきな自分自身のブログ>なんだと思う。


 あまりの暇(いとま)に耐えきれなくなって、仕事を早退した。
 こんな状況だし、安定した給料が付与される職業でもないので、今月の給料が平均値よりも下なのは意識していた。だから拘束時間が長くとも、ゆっくりと時が過ぎやがて時給が発生するために我慢しようとした、が、この日はなんだか耐えることができなかった。理由もあった。今朝家を出るとき、飼い猫5匹のうち1匹(この子はキジ猫で、年齢順に並べるとちょうど3番目、真ん中の女の子)がやけに足元を彷徨いて、「遊んで、行かないで」とわたしを下から見上げた。グレーのまん丸いビー玉の目がそう言う。その姿を思い出して、今すぐ帰って彼女を抱きしめたいと思ったから。それと、ちょうど彼女がわたしの部屋の棚を漁って、ゴム素材のアクセサリーを引きちぎった、という連絡が妹からきていたから。なんだか妙な予感がして、とにかく今すぐ家に帰らねばと思った。


 帰って、彼女を一目散に探したが、どこにも見当たらなかった。母に「どこにいる?」と聞くと、「上だよ、上」と、天井に備え付けられたキャットウォークを指刺され、彼女は見事にそこにいた。眠そうにしていたから、「寝ていたの?」と聞くと、「そうだよ。たった今起こされた」と言わんばかり、顔をむくりとわたしに向けた。彼女は顔がとても小さく、目は大きくて、鼻と口は小さい。スタイルも猫界の中ではモデル並の良さだろう。わたしが彼女の顔を撫でると、右手の中に顔がすっぽり収まった。「帰ってきたよ」「今日は何をしていたの?」「起こしてごめんね」「起きたら遊ぼうね」、それが彼女に伝わって、返事代わりの、ありったけのあくびを見せられた。
 妙な気がしたのは気のせいだった。「もしかしたら、引きちぎったゴムを食べてしまったかもしれない」と母に言うと、「確かに、なんだかこの子元気ないかもしれない」と、妙な気を信憑性が増すものにしたが、「でもこの子は頭がイイから、食べちゃいけないものってわかる」と、さらに信憑性が増すことを言った。猫の柄の種類によっても、ヒトの血液型のようにやんわりと特性があるらしく、例えば白猫はおっとりしていている、錆猫はとても賢い、茶トラは甘えん坊、三毛猫は好奇心旺盛、などで、その中でもキジ猫は慎重で気品高いらしかった。しかも彼女は5匹のうち真ん中、年上猫と年下猫をうまく取り持つ橋のような役、中高校2年の役を担っているせいか、判断力があり、空気も読める優等生タイプである。彼女がゴム製のおもちゃに目がないのは知っていて、そのゴム素材のアクセサリーを見つけて、遊んでいくうちに引きちぎるまでは想定内だが、彼女のその性格からすると、食べてしまうことはないだろう、一応経過を見ようと、しばらく彼女の側にいた。…しばらくして、彼女がいつものように走り回る様子を観測すると、妙な気がしたのはただの気のせいだと胸を撫で下ろした。


 母が図書館で借りてきた4、5冊の本の中から、<猫>がついたタイトルの本(最悪!母に名前を聞いたのに忘れた!)を手にとって、時間の有る限り読んだことを母に話した。「時間がなかったから最後まで読めなかった。何なら最初の章を読んで終わってしまった」、最初の章は、主人公が猫好きな友達の話を聞くシーンだった。その猫好きな友達は、飼い猫数匹以外にも餌をもらいに来る外猫数匹も可愛がっており、そのうち外猫に避妊・虚勢手術をしたり、名を付けたり、それを記録したりと、飼い猫同然の愛を注いだ。その中でも特別可愛がっていた外猫が、ある日突然パタリと家に来なくなったと言う。どこかで独り死んでしまったんだろうか、姿を見た最後の日は全くいつも通りだったのに、なぜ独りで死なせてしまったのだろう、その子を飼い猫として迎え入れるべきだった、そう主人公に号泣しながら話す。その猫好きな友達の状況が、全く我が家と一緒で、わたしは一瞬でその章を読み上げた。

「なんだけど、次の章で全然違う話してて、あ、猫の話から逸れていくのね、このあと気になるなと思ったんだけど。というかこの本、めっちゃウチと同じじゃん!と思って!」

「そうだね、最終的に猫の話ではなく、猫好きな友人の話になるね。でも面白かったよ、もう返却しちゃったけど」、母は続けて「私ね、その本を読んだとき、ウチと同じじゃん!とも思ったんだけど、それよりも町田康の”猫のあしあと”っていう本を思い出してね」と、やがてその”猫のあしあと”というエッセイについて話し出した。

「その本は、自分の飼い猫のゲンゾーの話で、ゲンゾーはとても人懐っこくて可愛くて、彼はそんなゲンゾーを愛していて、なんだけど、このまえ奥さんが拾ってきた野良猫が稀な病気を持っていて、飼い猫にも感染している恐れがありますって医者に言われて、言われるがままゲンゾーにワクチンを打ってしまう。次第にゲンゾーが衰弱していって、つい先日まで元気だったのに、本当に2日後とかに死んじゃうんだよ。それで彼は不審に思って調べると、医者がヤブ医者だったこと、野良猫がそんな病気を持っていなかったこと、不必要なワクチンを打ったせいで死んでしまったことに気づいて、自分がちゃんと調べずに、ゲンゾーにワクチンを打ってしまったことに、後悔と罪悪感じゃ治まらなくて、エッセイの中に直筆で”ごめんなゲンゾー”、”ゲンゾー、俺もそちらに行ってしまうか”って書いてあって」。

 

 わたしは母が話していくうちに、涙が溜まっていく透明のビー玉の目、母の目を見た。

「でね、ゲンゾーの写真もその本に載ってるんだ。それが、”あんちゃん”そっくりなんだよ」

 ”あんちゃん”というのは、ウチが最初に猫を飼い始めた頃、同時に引き寄せられるように来始めた外猫である。綺麗な黒模様を持った、凛とした女の子で、あまりのたくましさに、初めはみんな彼女を”ボス”と呼んでいた。ウチの猫をきなこ、もち、ごま、ずん、つぶ、と、おはぎに因んだ名前をつけたことから、”ボス”は餡子の”あん”になった。

「私、そのエッセイで、飼い主である筆者と同じ目線でゲンゾーを見ていたから、死んでしまって、筆者が書いた”ゲンゾー”って文字から伝うものがあって、私もこうして猫を飼っているから、本当に悲しくて」

「本当だ、あんちゃんそっくりだ」

「そう。かわいいよね」

「猫って本当に、みんなかわいい」

「ウチの猫たちも、ウチに通うあんちゃんも、他の猫も、みんなかわいい」

「うん」


 夕刻、母はカーテンを閉めようとする。すると5匹中5番目、末っ子の三毛猫”つぶ”が、窓にあるハンモックに飛び乗った。「つぶちゃん、ここで寝るのね」と母が撫でると、まだまだ身体の小さな”つぶ”の顔が右手3本指の中にすっぽりと収まった。あまりベタベタ触られるのが好きではない”つぶ”は「もうやめて!寝るの!」と、文句さながら強く「ミャー!」と鳴いた。「はいはいおやすみね」、そう言って母が撫でるのをやめると、”つぶ”は「もう終わり?」と、焦げ茶色のまん丸いビー玉の目で母を見つめた。

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