幼い頃、憧れていたもの。
マイケル・ジャクソンのライヴで失神する観客。
雨の中、革製のカバンを傘替わりにして電車沿いの道を走る女子高生。
運転席から駐車券を取る父の横顔(券を口に咥えるのもいいんだよな)。
CDや漫画を片っ端から大人買いすること。
クレジットカードに記載されている、ゴツゴツした数字。
テレビで見る、レインボーブリッジ。
一人電車に乗って、隣町の図書館へ行くこと。
その電車で乗車してきた猫を追いかけた末に見つけた、素敵な雑貨屋さん。
図書館カードにいつも同じ名前が書いてあること。
(...ほぼ「耳をすませば」の中の話)。
(幼い頃憧れていたもの、それはつまり「耳をすませば」そのものでもある)。
髪色を金髪に変えた。
恋人が「この駅で見送ると、寂しくなる」と言うようになった。
週に二、三回は東京へ行くようになった。
欲しいと思うものは、大抵自分のお金で手に入るようになった。
大人になったな、と思う。
成人を迎え、堂々と「あなたは大人です」と言われたせいもあって、ヒシヒシとそれを実感するようになった。
年齢を記入する欄には、十の位に「1」を書きそうになってから「2」を書く。
冷蔵庫の手前側に、缶チューハイを置く。
あの煙草を吸ってみたいと思って、番号を覚えておく。
無駄にガソリンを消費することを気にせずに、ドライブをする。
大人になったな、と思う。
先日、Yogee New Wavesというバンドのライヴに行った。
なんちゃってライヴレポートは毎度のように投稿しているのだが、今回はちょっと、自分が何を感じたかを忘れないようにしたくて、ここに書いている。
Yogee New Waves(通称ヨギー)のライヴは初めてじゃない。初めてじゃないし、むしろ彼らがどういうライヴをするのか、彼らのファンがどういう聴き方をするのかわかっていたから、特に構えることもなく、慣れた風でいた。
一緒に行こうとしていた恋人が、サボれない授業だと言って遅れて来ることになった。「ライヴが終わってから会おう」と約束して、同じ会場にいるのに互いの居場所も知らずにライヴを観ることになった。単純に、それが新鮮だったのだ。
「我々、大人になったな」と思った。
そしてライヴが始まる。
私がヨギーを知った曲である「Climax Night」という曲。
<目が見えなくとも 姿形がわかる ようなことを探し求め コーラを飲み 泣きじゃくった日々よ>
真夜中、布団に潜り込んでこの曲のMVを観た。再生ボタンを押した瞬間に耳に流れる音と、夜道をただ歩く彼らに心を掴まれて、「かっっっっけえ........」と、叫びたい気持ちを押し殺したのを覚えている。確かあの時は、日々を”仕方がないルール”に縛られていて、明日を迎えるのが面倒臭くて、「いいや、このまま夜更かしして、体調不良にでもなってしまえ」と、YouTubeの関連動画を辿っていた。そんなときに出会ってしまったのが、まさに”自由でいようよ”、”生きたいように生きようぜ”というスタンスで音楽を作っているヨギーだったから、憧れが強いのだと思う。そこからヨギーと、この「Climax Night」が私の憧れになったのだ。
当時、十代の真ん中を過ごしていた私が、こうして「大人になったな」と思いながら「Climax Night」を聴くと、そりゃ、感じるものもあるさ。
合言葉のように覚えていた歌詞たちを、いつか生で聴いてやる!と誓った当時の私よ。今じゃ気軽にライヴに行って、ほぼ最前列で、彼らと一緒に歌い叫んでるぞ。
大人になってしまったよ、本当に。
同時に、ライヴでのヨギーたちにさらなる憧れを抱いた。
いつだって、カッコよさがアップグレードしていくんだもの。
あの夜押し殺した「かっっっっけえ..........」を、毎度より感じるんだもの。
「踊りたい奴はここにおいでよ!」という彼らの目の前に、ドッと集まって歌い叫んだ若人たちも、同じように憧れを抱いているに違いない。
大人になったなと思うことに、若干戸惑っていることは確かだ。
確かだけど、まだまだ大人に、かっけえ大人になれることも確かだ。
終演後に歩いた帰路で見えたレインボーブリッジに、いつまでも興奮していたいと思った。
大人になってしまったけどね。