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思いついたときにただ色々書いています

日記

毎日日記を書いている。

日記を書くことは、小学校3年生の時に母親に習慣づけられたことで定着した。半ば強制的に”書かされていた“その日記は、次第に私自身に”何かを書きたい“と思わせ、”書く仕事がしたい“と夢をも見させるのだから、母親には感謝したい。才能があるかないかは別として、「趣味にしても仕事にしても、これなら一生好きでいられる」と自信を持って言えるモノに、今まさに出会えていることが私の誇りだ。

書き始めた当時は、パソコンを使ってA4サイズの紙にぎっしりと文字を打ち込んでいた。起床時間、食べた物、聴いた音楽、誰と何を話したか… そしてその年に、大好きなアーティストであるマイケルジャクソンの訃報のニュースが入ってきた。確かその日は、ショックと絶望と悲しみでいっぱいであるということを日記に書いた。書けば書くほど募っていくマイケルへの思いが苦しくて、次第にマイケルのことを書いていた。生まれ育った環境、インタビューで語られていた彼の苦労や孤独、音楽への思いや、世界平和を望む意思。その日の日記は、初めて自分で書いた文章へと一変し、書き終えた後、目の前には私が消化しきれなかった感情が、言葉となってそこにまとめられていた。その瞬間に感じた達成感が、私に“何かを書きたい”と思わせたキッカケである。

部活や受験を経験していくうちに、忙しさを理由に日記とは若干疎遠になっていたが、学校生活などで押し殺した感情や、反抗期で母親に言えなかった苦悩を吐き出す場所として時折存在していた。悪い意味でも、良い意味でもだ。腹が立ったことなども書いていたし、できなくて悔しかったことも書いていた。両方とも、“いつか読み返した時に、もう1度この感情を思い出してほしい”という、未来の自分自身へのためにそこに記した。当時のその望みは今まさに私を励ますものになっているから、叶っていると言っていいだろう。読み返すと、思春期真っ只中の私が見る世界は、時に子供で時に大人であり、時にその間にいたことがわかる。

“モノを書くこと“への好奇心を生んだ日記。今は、いつか私が突発的に死んでしまったりした時に(例え話だから重く受け止めないでほしい)きっと誰かが目を通すのだろうと考えて、勝手に誰かへの感謝を書いたり、”実はこう思ってました“なんていう暴露を書いたりしている。それを誰かに読ませたい気もしながら、誰にも見せないまま、密かに自分の宝物であり続けてほしいとも思う(ここで日記のことを書いている時点で密かに存在するのは無理になってしまったのだが)。

 

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