title

思いついたときにただ色々書いています

猫と若者

 

    やけに背中の、Tシャツのタグが当たるところだけが気になって、くすぐったいから爪でガリガリとかいた。子猫が慣れない手つきで爪を研ぐように、若干届きにくい場所をガリガリとかいた。この自粛期間中はそれがいつもで、そのせいで、鏡にふと背中を向けたとき、そこだけが赤くなり、そこの皮膚だけがすり減っているのを見た。脱皮とは少し違って、その部分だけ、失っているのが怖くなる。だからすぐにTシャツのタグをハサミで切って、”そんなこと”がもう起こらないようにした。
 私は、”何かを失う”のがとても怖い。

 

 「ほんとうに、涙腺が緩くなりました。 十代のあの、泣いたら負けみたいな意地がなくなったのでしょうか、年齢を重ねて大人になっているせいでしょうか、すぐに泣いてしまうようになりました。 涙の種類はいずれも、感動と悲しみによるものが多くて、最近は感動する機会も減りつつあるから、もっぱら悲しくて泣くことの方が多い。しかも、何か悲しいことが”実際に起きた”わけではなく、”いずれ起きる”ことを想像して涙を流すのです。」

 電気もつけずに日記帳を取り出して、色も種類も選ばずに、適当に手にとったボールペンでこう書いた。泣きはらした目を擦ることもせずに、この気持ちを忘れてしまったときのために書いた。私にできるのは、”何かを失う”ことを阻止するのではなく、”そんなこと”がもう起こらないようにするのではなく、”それが起きたとき”の自分がどうであるべきかを考えることだけだ。
 

 

 飼い猫が我が家にやってきた日をずっと覚えていたいのです。 青色のペンでそう小さく書いたように、近頃の私は本当に涙脆く。毎晩毎晩、飼い猫が明日ふいに死んでしまったらどうしようと想像しては、泣いてしまう。もうこれは病気みたいなもので、 その状況から脱して、他のことを考え出すまではずっと、それはもうずっと泣いて、しばらく立ち直れないのです。

 ただの猫好きなのかもしれません。言っていることは、ただの猫好きに変わりありませんし、 それを否定する気もありません。でもね、「ただいま」と言って開けた玄関の扉から、かつて感じていた洞窟のような冷たさ、暗さ、それを多く語る気はないけれど、今はもう感じないんだ。 なぜなら猫たちが、陽だまりそのものをもたらしてくれたから。大げさかもしれないけど、彼女たちには感謝してもしきれない。我が家に来てくれてありがとうね、生まれてきてくれてありがとうね、雨風強いあの日に一生懸命鳴いて、生きようとしてくれてありがとう。  

 言わずもがな、もう、なくてはならない存在なのです。

 そして何より、愛おしくて愛おしくてたまらないのです。

 

 失うことが怖くて、ただひたすらに泣き続けているのは、ただ情けない若者だ。

 自分を客観視したときにやっぱりそう思うから、青色で書いた文字に、未来の自分を託した。この若者は大切なものを増やしすぎた。その多くの大切なものたちを失いかけたとき、失うとき、 あなたはまたこうやって泣いて、飼い猫に例えて、立ち直ったとして、それが何度も何度もできるのだろうか。だんだんと歳を重ねて、若者が大人へと変化したとき、大切なものが減っていればいい。ひとつひとつへの”大切だ"と向ける気持ちを大きくして、安らかにいられればいい。

 

    ピアノの高音部をカラカラ弾くように、軽やかにそして優雅に遊ぶ飼い猫たち。何度その光景を見ても、陽だまりのそのもののようだと思う。共に映る若者は、いつか大人になれるだろうか。

 

f:id:yotteiru:20200612002057j:image