台風19号直撃の翌日は、仕事だった。
目が覚めても、外から信じられない雨音が聞こえてくることもなかった。再び、普遍的な気候が戻ってきただけ、なんなら少し秋の終わりさえ感じる天気。一日中不安と頭痛を抱えることもなさそうだった。
「群馬はそんなに被害がなかったんだね」
「そうだね。でも、怖かったのはみんな同じだよ」
「怖かった。それじゃあ、仕事行ってきます」
母とそんな会話をして家を出た。車を運転して、いつもの道を進み、いつも赤になる信号で止まれば、携帯を開いてしまうのは癖、もはや病気である。
台風による大きな被害についてと、何の変哲も無い生活に戻りつつあるツイートが交互に流れる、殺伐としたタイムライン。全部を読む気力も時間もなく、シュポッと更新し直すと、とあるツイートが流れてきた。
[ ひとが、ただ生きているだけで美しいというのは、すべてを肯定的に称賛する言葉ではなくて、死んでしまいそうなひとに、生きてほしいと願う、一縷の望みを託した言葉です。僕はなぜか、みずから死んでいこうとするひとを好きになるのです。なぜだかわからないのですが、ぜったいに死んでほしくはない。]
トナカイ、という人の、長い長い呟きだった。
私はこの言葉を読み終えると、信号が青になってから右折レーンに移動して、咄嗟に自宅へ帰ろうとした。「今日は仕事へ行けない」と思ったのだ。
理由は特別なものではなくて、衝動的にそう思ってしまったのである。[僕はなぜか、みずから死んでいこうとするひとを好きになるのです。]、この言葉に台風直撃と同じくらいの恐怖と興奮を受けて、「家に帰って、この言葉のことを考えたい」と思ったのである。
...そこで帰れたら、この話はフィクション。現実では仕事を休めるはずもなく、右折レーンに入ったはものの、さらにまた右折して、結局いつもの道に戻った。前を走るZEEPのどデカイロゴ。"チルミックス"という名の、AIに選別されたプレイリスト。台風19号やその言葉とは真反対にいることに夢見心地になりながら、仕事へと向かった。