今年の1月1日に彼は亡くなった。
訃報を受けた1月4日から、約1週間、誰とも連絡を取らなかった。連絡をしていられなかった。
なぜ人間は死ななければいけないのかと、馬鹿げた問いの答えを探していた。答えが見つからないことが悔しくて、死というものを激しく恨んだ。
彼を初めて知ったのは約5年前、2014年。
動画投稿者と一視聴者という関係。向こうは私の存在さえ知らない、ただの片想いの関係。
だが、学校から帰宅して観る動画の中の彼に、やけに親近感を持っていた。親戚のお兄ちゃんが、今日は何をして遊んでるのかな〜と、淡い憧れを抱きながら覗くような。近い距離にいるような。
だから、彼の死は辛かった。
大好きな親戚のお兄ちゃんが、突然事故で死んだと聞かされた感覚に、絶望した。これが身近な人の死なのだと。声を荒げて泣いたのを覚えている。
伝う涙がうざったくて、それを流そうとまた泣いた。
死の存在がこれほど憎いことも知った。
部屋の換気をしようと開けた窓から、冷たい夜風が入り込む。600Wで温風を流すヒーターに身を寄せて、残ったグループメンバーの、1時間に及ぶ動画を再生した。1時間の動画に、彼のことが詰まっていた。
「〜だった」「〜した」と、彼とのことを過去形で話すメンバー。そりゃそうだ、彼はもう死んでしまったのだから。全て過去形で、正しい。
ただそれは、彼の死を余計に実感させた。彼はこの世にいなくて、姿形は灰へと変わり、目に見えない。
動画の中でのメンバーの「こんなことがあったんだよって彼に話したいけど、ああそっか、もうこの世にいないんだ、って何度も思う」という語りが印象深い。今、電話をすれば話せる。今、会おうよと言えば会える。今、したいと思えばできる。相手や自分が死んでしまったらもう何もできない。当然のことだし、分かってはいたけれど、「また今度でいいや」は、ナンセンスな選択だ。残されたメンバーは、彼の死からそれを強く受け止めていた。その姿は、少しでもつついてしまえば弱く、消えてしまいそうだったが、それでも前を向こうと強かった。
この動画に受けるものが必ずある。
同業者である動画投稿者達だけでない。大切な存在を失った人、友達と喧嘩してしまった人、両親や兄弟をよく思えない人、未だに想いを伝えられていない人、したいことやしなくてはいけないことから逃げている人。それは性別年齢関係なく、該当する全ての人。
悲しさが大きく浮遊して、温かいものに変わった彼らが、思うことを真っ直ぐに、丁寧に語る姿に、受けるものが必ず、必ずある。
死を意識しながら生きたい。
どこかで聞いたせいで薄い言葉に聞こえがちだが、明日死んでもいいと思いながら、生きたい。
彼の、親戚のお兄ちゃんの死から、そう思うようになった。そして、死の存在は憎いだけではないかもしれない、そう思うようにもなった。