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思いついたときにただ色々書いています

音楽と煙草と、海

真夜中、その友人と遊ぶことは数か月に1回の恒例行事になっていた。

そしてそれは頭の良い遊び方とは言えないものだった。

前回は”フジロックの会場に行くだけ”。今回は”海を見に行く”、というもの。

日を改めて、じゃなくて今から。到底、頭の良い遊び方とは言えない。

その友人は「わがままを言ってごめん」と言っていたけれど、友人との遊びや恋人とのデートはわがままなしでは成り立たない。わがままのない遊びなんて、つまらないよ。

余裕をこいてそんなことを思っていたが、私たちは若干緊張していた。当の本人ではあるが、これから未知の体験をするのだ。どこの海に行くかも決めずに、ただ車を走らせるというー

 


そんなとき、つい最近中国留学から帰ってきた友人⑵を思い出した。

「今どこにいるの?」とメッセージを送ると、「東京だよ」と。

「東京か。別に迎えに行けるな」

「そうだね。迎えに行ける」

電話越しにそんなやりとりをされたら、普通は恐怖に怯えるもの。少しは引いてくれてもいい。でもほろ酔いの友人⑵は「それなら待ってるよ」、そう答えた。

高速道路と下道を3:7の割合で経由して、友人⑵の自宅へと向かう。

途中、友人⑵が寝てしまわないようにと電話をかけた。

「さっきピアスをもう1つ開けたんだけど、左右のバランスが最悪でさ」

「そうなんだ」

「今ほろ酔いだから」

「呑んでるの?」

「うん。ちょっと1人で呑んでた」

じゃあピアスなんか開けるなよ。今じゃないだろ、今じゃ。

友人⑵と合流してから耳元を見ると、アンバランスなピアスが光っていた。

だが、それを気に入っているように「いいでしょ」と、左右に耳を揺らす。

たとえほろ酔いだったとしても、そのときが開けどきだったのかもしれないね。それでよかったのかも。まるでこの夜のよう。私たちは、今海に行くべきなのかもしれない。

 


時間稼ぎのマックで、Lサイズのポテトを2つ貪る。

駐車場で、各々の嘔吐・排便話(私たちはこれを「ゲロトーーク!」と名付けた)で盛り上がり、ポテトよりも美味しい煙草を食べる(吸う)。

「これから海に行くんだよね?」

疑うのは無理もない。今やっていることは地元でもできる。

しかし地図上では確かに羽田空港のまさに隣にいて、スマホを見ながら「ほんとかよ」と呟いた。最新テクノロジーなんて信じられるか。

 


YMM(横浜みなとみらい)に到着すれば、まだ動いても光ってもいない地味な観覧車が私たちを歓迎した。歩いている人間はいない。GANTZの世界に飛び込んだ私たちは、車を適当にパーキングに駐車して、適当にパーキングの場所を覚えて、踊りながら朝日を目指して歩いた。歩くことさえ適当だった。

YMM(横浜みなとみらい)にちなんで、「STAY TUNE(by,Suchmos)」、「TSUNAMI(by,サザンオールスターズ)」を歌えば、そこに「MINT(by,Suchmos)」を足したREMIX(アカペラver.)が繰り広げられた。オフィス街の無法地帯。多少大声で歌っても喋っても無害。この時の私たちはYMMと観覧車と真夜中を丸ごと自分たちのものにした、誇らしい気分だった。

 


辿り着いた海(正確に言えば湾に近かった)はまだ朝日に照らされておらず、タプタプと音を立てて波打っていた。藍色。ずっと見ていれば、大きな魚のよう。

LSDを使ったときって、こんな感じなのかな」

「確かにそうかもしれない」

そこでようやく、私たちは海に辿り着いたのだと確信した。LSDの話をしながらようやく。彼らはイワシ雲に風情を感じて「ピザポテトみたい」なんて言うのだ。「小学生かよ」と言おうとしてイワシ雲を見ると、確かにピザポテトだった。私も、小学生だった。小学生というより、全体的にずっと偏差値が低かった。

恐るべし真夜中・秋マジック。

唯一の大人だった瞬間は、朝日に照らされ始めた海を見たとき。

友人が「じゃあ1人1人、今この瞬間に合う音楽を流そう」と言って、順番に音楽を流したとき。友人⑵が流した「ASAYAKE by,カシオペア」は、朝焼けというより朝!ということに気づいた。あのときは、自由研究をしっかりと成し遂げたような、実際にこの目鼻、耳、肌で感じた確かなもの、本当があった。

 


それからは、二人の膀胱の弱さ、我慢の効かない尿意との戦いが起こり、海を眺めていた時間と思い出を、見事に上書きする出来事になるー

ひたすらにトイレを探すためだけに、みなとみらい中を練り歩く。

さっきは歩くことさえ適当だったのに、このときはもう、しっかりと足を地上に着け、無駄のない歩き方をしていた。一度の油断も許されない、みなとみらいの街並みよりもトイレの有無に集中して、ただひたすらに練り歩く。

「ウーバーイーツでトイレを頼みたい」

「膀胱をこのまま出して、誰かに渡したい」

今思えばとんでもないパワーワードである。

偏差値の低さに、思わず義務教育の必要性を疑った。

朝6時半。実際、どこの会社だってお店だって、開いていないのは当然である。それなのにも関わらず、開いていないそれらに暴言を吐きまくる彼らは最低だった。

「あれ、トイレっぽくない?」とシックな建物を指差したり、美術館への不法侵入を試みたり、後半はもうひどいものだった。今こうして文字にすると、もっとひどい。しかし彼らはそれほど本気だったのだ。本能みなぎる動物の、ありのままの姿ー

無事にトイレを済ませると、達成感に満ち溢れた様子かつ、ようやく私の存在に気づいた様子だった。再び、適当に歩き出す。

コンビニの外にあるテラスに座って、モーニングをした。

真横を通り過ぎていくサラリーマン・ウーマンたちに、羞恥を覚えながらのモーニング。”クラブ帰り、新宿を徘徊する若者”という見た目をしたゾンビが、みなとみらいのオフィス街のど真ん中でモーニングをしているのだ。とんでもない場違い感。立ち上がった瞬間、アルコール消毒されそうな勢い。 

 


帰路。とんでもない眠気に侵されていた私たちを救ってくれたのは、やはり音楽だったー

「三日月 by,絢香」、「Lover Boy 88 by,88rising,Phum Viphurit&ハイヤーブラザーズ」の大熱唱。音楽は無敵である。

「また近々必ず会おう」とハイタッチして、東京に友人⑵を送り届け、地元へと帰った。

 


音楽と煙草と、ただ海を見たいという気持ちしか、3人の気力を繋ぐものはなく。

肉体的疲労感、眠気、集中力の皆無さには、こんな体験勿体無いかもしれない。だがそれを充分に理解した上で無茶をする。このときに生まれる特有の感情は中毒的である。やめられない。

「今しかできないだろうな」

「後2年したら、もうできないと思うよ」

「22歳か。でも、していたいな」

今日が楽しかったとしか言わずに友人とも別れ、無事に家へと着いたが、私はこの出来事を日記以上、冒険記未満の言葉にしておきたかった。

これは、これからの自分にとってのお守りになると思っている。

 

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Suchmos 第一幕閉幕

このなんちゃってライブレポートは、きっと長くなる。

眠れないベッドの上、暇な満員電車、腹痛で篭るトイレで、読んでもらえたら。

 

 

 

誇らしかった。横浜スタジアムまでの道のりで、"Suchmos"と刻まれたタオルを首にかけて歩くことが。「俺たちは今日、ついに夢を実現するバンドのライヴを観に行くんだ」。そんな気分で歩いた。誇らしかった。

きっとじゃない、当然俺たち以上に誇らしいのは、彼らSuchmos

”臭くて汚ねえライヴハウス”でツアーをしていた頃から掲げていた”横浜スタジアムでのワンマンライヴ”という夢を、今日9月8日に叶えられるのだから。

台風の接近で開催は危うい状態だったが、当日の朝、十分な注意を呼びかけての開催を決定した。賛否両論あったに違いないが、はっきりしたその決断に清々しさを、今日のスタジアムライヴへの強い想いを感じた。行けない人も大勢いる。その人たちの分まで、彼らが夢を叶える瞬間を目撃しよう、会場にいたファンたちはそんな熱意さえ抱いていただろう。

 

 

 

「よく来たね!!」横浜スタジアムで鳴り響いたYONCE(Vo.)の第一声。数時間後に台風が直撃しようとも、なんとかこの浜スタに辿り着いた私たちへとんでもないライヴを約束するような一言に、一気に熱狂する観客。灰色の空と大粒の雨にも負けず、"Suchmos"と刻まれた色とりどりのタオルを掲げた。

「俺らはこの横浜の地で生まれ育ったんだ」「そしてこのステージに立つことが夢だったんだ」と、観客と会場両方への挨拶代わりに、”YMM"でスタートを切る。初のスタジアムー、と言っても、先々月のサマソニではマリンスタジアム、昨年のフジロックではメインステージを担当しているわけだからー、と言っても、地元横浜スタジアムでのライヴへの思い入れは段違いだろう。漂う良い緊張感、その上で堂々としている様が、”YMM"、続く”WIPER"、Kcee(Dj.)の遊び心満載なアレンジが効いた”Alright"のサウンド感にマッチしていた。ダークでアダルティ、そして、イケナイ空気。

体調不良により活動を休止していたHSU(Ba.)のベースがリードする”DUMBO"。曲中、HSUの復活を改めて祝福する拍手が度々起こり、やっぱり彼の低音なしのSuchmosなんて考えられないななんて思っていると、すかさず「懐かしのナンバーやります」と、”Miree"のイントロが鳴った(私は個人的にこの曲が格別に好きなので、”!マーク”を3個ほど文末に添えたい)。ここ数年のライヴでは全く披露されないレアナンバーなためもあって、前後に椅子があろうとも、濡れたレインコートを身につけようとも飛び跳ねる観客たち。この巨大な浜スタで、[SOS 猿の惑星 そう 結果 We are ape]の歌詞が聴けるなんて!!!

そして、第1部を締めくくる”STAY TUNE"。死ぬほど聴いたこの曲がやはり特別に感じるのは、この横浜スタジアムの力だろうか。この曲が彼らにもたらした壮大なものを、今宵この場に集まった3万人のオーディエンスが証明している。

すでに最高潮に達しかけていたバイブスを一度冷静にさせつつも、その心中を掴んで離さない”In The Zoo"が、2部開幕の合図だ。どこを切り取っても現実を逃避させない歌詞たちに、彼らの真髄が伝わってくる。光と闇の闇の部分を見つめること、見つめたものを抉り出して提唱すること、全てに意味があるということ...etc  それからの新曲”藍情”披露、そして”OVERSTAND"は、彼らの真髄にさらなる説得力を増すものになった。<I&I あなたは私 分かりたい 分からない気持ち>、<神のみぞが知るのか?違うだろ? 人と人だけが頼りだ> かつてツアーで、YONCEが手書きしたこの曲の歌詞カードが配布されたことを思い出した。彼らが歌詞に込める思いの強さは、あの頃と全く変わらないことを知る。

続くのは、彼らのもう一つの代名詞とも言える”MINT"。OK(Dr.)の軽やかなドラムイントロは、浜スタで聴くと一段と重みが。今年の5月、YouTubeに投稿された「Suchmos "MINT" Live Edition  (https://youtu.be/qHQF3Z-BaoA )」という動画。その動画の中にYONCEが「この横浜の地で宣言しておきます。俺たちは絶対に横浜スタジアムに行く」と言うシーンがあって。既に浜スタでのライヴが決定していたから、その有言実行がとんでもなくカッコよく、心打たれた私はコメント欄にこんなことを書いた。【もうわかってる。2016年、このMINTのMVを見つけたあの夜。いてもたってもいられなくて、地元のライブハウスでライブをやるという情報を知り、チケットを取った。キャパ300人のボロいライブハウス。3m先で彼らのMINTを聴いた。そこからこの3年の間、ライブハウスのキャパも次第に大きくなり、ついにホールツアー、そしてアリーナツアーへと進化していった。ずっと彼らを追い続け、遠くなっていくなぁと幼稚なことを考えながら、欠かさずライブツアーに訪れた。その中にMINTを聴かないライブはなかった。わかってる。ずっと聴いてきたMINTを、彼らの目標であった横浜スタジアムで聴いたらどうなるか。もうわかってる。私の中でのMINT、そして彼らの中でのMINTが、横浜スタジアムで演奏された時に生まれる感情が、一体どんなものなのか。】このときに予期していた感情は見事的中した。ラストの大サビを一緒に歌うシーンは、涙が堪えきれずに歌えなかった。

「そうさ俺たちはニコチンフリーク〜 世知辛いね さみしいね どこでも吸えるわけじゃないのよ〜 だけどキースリチャードはスタジアムの通路とかで吸ってた そう一服しようよ ここらでまったり」と、お決まりのニコチン愛を嘆いた後に始まる”TOBACCO"、ニューアルバム「THE ANYMAL」から”WHY"、そして”BODY"が並ぶ。心地の良いBPMの上でTAIHEI(key.)のジャジーなピアノが遊び、横浜スタジアムがクラヴハウス状態に。Suchmos横浜スタジアムでライヴをやるということが、今の音楽シーンにとっていかに希有、レアケースであり、重要であるかを再確認した。

ここで「THE ANYMAL」から”Hit Me, Thunder"。今までのダンサブルとは違う、壮大なブルース。ローファイなサウンドに、YONCEの魂の歌声が際立つ。約8分間の物語を見たような充実感を抱いたまま、”Pacific(Blues ver.)"へ。

この”Pacific"がとんでもなかった。穏やかな波音で始まり、YONCEの伸びやかな歌声がスタジアム全体を包み終わる中盤、ステージから会場中央へと伸びるロードの先端で、TAIKING(Gu.)命懸けのギターソロが展開された。命懸けという言葉が相応しい、思いと叫びと魂が籠ったギターソロ。浜スタ上の空を強く突き破る。私はあのギターソロ、そしてあの光景を絶対に忘れることはない。

会場にいた一人一人の感情が統一され、そして揺れ動けば、涙を浮かべてしまう。だがシクシクしている暇もなく、”A.G.I.T."、”Brun"と、一気にライヴは終盤へ。

Suchmosのライヴの特徴は、バッグスクリーンに映される映像と、無数のライトアップの在り方である。Suchmosの音楽を邪魔することなく、尚且つ背景に特化することもない、絶妙な演出が超カッコいい。音楽を聴いて満足しているだけの人、本当に勿体無いぞ。

その演出が、本気を見せるのがこの第3部、いよいよ終盤である。

Kcee(DJ.)によるDJプレイがイントロを飾ると、スクリーンに「808」と移し出される。まるでその3桁が合言葉かのように、瞬間的に叫ぶ観客たち。「おかしくなろう!」という"GAGA"の合図で、バイブスは本物の最高潮に。彼らは間違いなく、信じてきたものを披露していた。そして私たちは、アーティストのライヴというものの根底を目撃した。それは台風の下で狂ったように踊っていても確信できるほど。色濃く、確かなもの。決して色褪せない、確かなもの。

会場の”ボルテージ”がMAXのまま、ラストナンバーに”VOLT-AGE"。気づけば会場は夜になり、吹く風に本格的な台風接近を感じつつも、その危うさがこの楽曲にピッタリだなんて思う。彼らが<NHK2018年サッカーテーマソング>にこの曲を発表したとき、賛否両論、様々な意見が飛び交った。しかし紅白初出場のステージ、「臭くて汚ねえライヴハウスから来ましたー」という前振りからの堂々のライヴ演奏は、”自分たちがかっこいいと思うものをやるだけ”といった、Suchmosというバンドをテーマ付ける舞台となった。賛否両論だの、メディアだの、そんなことどうだっていいのである。自分たちの信じているものを信じられれば。

そんな彼らを信じてきて正解だった。全てのセットリストが終了し、当然拍手は鳴り止まず。アンコールに、ファーストEP”Essence"から”Life Easy"。デビュー当時にリリースした”Life Easy"が彼らの初心であると考えると、今こうして1つの夢を叶えた彼らは、全く初心を忘れていないななんて思う。TAIHEIのピアノに合わせて、<Faith is the key 信じることが真実さ 誰のためでもなく 自分のために生きよう>と、伸びやかに歌うYONCE。売れれば売れるほど、時間が経てば経つほど、真髄を忘れてしまいがちだけどー。彼らしか味わないような達成感や喜びが、あの空間中に溢れ出て収まりきらず、私たち観客に伝染していたのを間違いなく感じた。音が鳴り止むと、鳴り止まない拍手に呼ばれて、自然とセンターへと集まる6人。お互いに肩を叩いたり、握手をしたり、ちょっと涙ぐむ姿もあった。そして横一列に並び。スタジアム一体を改めて見渡しながら、瞬間瞬間を噛み締めていた。

 

 

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...非常にダラダラとしたライヴレポートである。

彼らはライヴでMCの時間を設けないバンドだ。YONCE以外喋らないなんてこともザラにある。だからこの日、途中MCの時間を設けて、メンバー同士がお互いを指名しあって、全員が思い思いに喋っていたのには驚いた。

普段慣れていないのがわかる、MC慣れしていない一般人のよう。だが、そのおぼつかない言葉たちは本当にまっすぐで。お互いを”バンドの心臓”とか、”こいつがいないとこのバンドは成立しない”とか、言い合うんだ。どんなにバンドが巨大化しようとも、地元の音楽好きな友達同士に変わりはないんだなと思った。

 


........おぼつかないのはこのライヴレポートである。1曲1曲に強い個人的感情を抱きすぎて、だらしのないライヴレポートになってしまった。

ここまで読んでくれた人、本当にありがとうございます...

 

 

 

 


(※ここでいう、第1部、第2部〜などは勝手に位置付けしたもので、実際のライヴではそう仕切られてはいない)

 

 

マチネの終わりに

最近は眠る前の、ストレスやパニック障害による頭痛と吐き気が酷くなるとき、なんとか気を紛らわせよう、落ち着こうと、クラシックギターを聴くようになった。一年前に読了し今年映画化もされた「マチネの終わりに」。読みながら頭の中で鳴り続けた"無伴奏チェロ組曲 第3時 BWV 1009より プレリュード"という曲。この曲を聴き、今自分が「誰もいない私立図書館で一人きりでいること」「屋久島の樹木の根本に横たわっていること」「西ヨーロッパの下町アパートに干してある洗濯物たちを眺めていること」を想像する。するとしばらくして強い頭痛と吐き気は失せていき、お気に入りのフレグランスを部屋にひとふきしてから、ゆっくりと眠りにつくことができる。

 


想像ではなくて実際にそれを"体験"することを、自然と精神が求めているのだろうか。私はこの想像/妄想が癖になっていて少し怖い。そしてこの想像/妄想と共に鳴るクラシックギターの音が消えることも。だから眠る寸前に消した音が、当然朝には鳴っていないことを知ると、思わず泣いてしまう。

 


私は永遠に、マチネの終わりを恐れているのかもしれない。

 

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成人式

妹が使っている国語の教科書が、テーブルの上に乱雑に置いてある。どうやら近々テストが始まるらしく、テストからの一刻も早い解放を願う声が、妹自身と置かれた教科書の中から聞こえた。今じゃ、”期始めテスト”、”教科書”などといった言葉を、久々に使ったとまで感じる。パンパンにカバンに詰めていたこと、遠くのクラスまで走って貸し借りしていたこと、貸した教科書に「ありがとね♡」と落書きされていたこと...etc テストや教科書の中身は思い出せないが、そんなくだらないエピソードたちは思い出せた。

この教科書に載っている、無数の文字たち。

これを時には暗記したり、クラスみんなで音読したりしていたんだな。

 

 

 

…成人式という儀式に対してアンチテーゼを抱いていた私は、信頼する友人たちの綺麗な姿と、しばらく会っていなかった友人たちの相変わらずさに感動していた。実際に彼らと「久しぶり!」などと言って顔を合わせると、明らかにいつもと違う状況(振袖やスーツで着飾っている状態)だとしても、瞬間的に中学生、いや、小学生の頃にまでタイムスリップしてしまった。記憶の奥底に眠る”あの頃”の蓋がぱかりと開いたのだ。

ここにいる彼らと、何時間目かの授業で音読したあの話や、あの話。

得体の知れないクラムボンをノートに落書きして、先生に「センスがない」と怒られた。

最初だからとお手本でその話を読んだ先生が、なぜ泣きながら読んでいたのかが今ならわかる。

”作者の気持ちを答えなさい”と問われる理由がわからなくて、みんなで散々文句を言っていた放課後。

 


なんだか、もう子供には戻れないということに、無性に寂しさが込み上げた。

いざ「あなたたちは成人です、大人の仲間入りです」と言われてしまうと、ショックだ。

あんなに大人に恋い焦がれていたのに。同じ教科書はもう読めない。もう彼らと同じ時間を共有することはできない。とっくに卒業しているし、わかっていたはずだったがもう一度再確認した。もうあの頃には、子供には戻れないのだ。

そして周りを見渡すと、振袖やスーツで華やかに着飾っているせいで、そして月日が経ち、かなり顔つきが変化しているせいで、誰だか思い出せない人たちも多かった。だけど、あのこが持っていたDSの色とか、縄跳びの色とか、自然と浮き出てくる。筆箱の柄、20分休みは校庭派だったか校内派だったか、自由帳に何を繰り広げていたか。流行ったカセット(おいでよどうぶつの森…)、カードゲーム(ムシキング…)、歌(ピラメキーノ…)、テレビ番組(ヘキサゴン…)まで。

SNSで共有している部分もあるけど、実際にこうして会うのが最後な人もたくさんいるだろう。

みんな幸せでいてくれ!簡単に死ぬなよ!お互い助けが必要だったら気軽に会おう!

一生を共にしたいと思える人に出会えますように。そして大好きな人との子供ができたら、今の私たち以上に幸せになれるように育てよう。歳をとっても夢を見続けよう。何かに制限されたとしても、お金がなくても、誰かに反対されても、自分の決断を信じよう。戦争がない未来を信じよう。

はいチーズ!の合図で聞こえるシャッター音を聞きながら、そんなことを思っていた。

もちろん自分に対して、言い聞かせている部分もある。

カッコいい大人になろう。時間がかかっても、カッコいい大人になるんだと。

着ていた紫色のカラースーツに、それらの気持ちを精一杯託した。

 

 

 

一日中騒々しい場所に居続けると、眠ろうとベッドで目を閉じた瞬間の無音がより際立つ。普段の生活音を超えた雑音は、とんでもないストレスを身体に与えているのだと実感するとようやく疲労を感じて、気づいたら眠りについていた。  [2020/1/13 5:25]

 

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ニキビ

朝と昼の間、目覚める。顔を洗おうと洗面所に立ち、鏡を見る。ニキビが頰にできている。

こいつは今でさえポツリとあるが、次第にゆっくりと顔を侵略していくからタチが悪い。

まるで自身の圧倒的栄養不足と、ホルモンバランスの不安定さ、免疫力低下、そのほか、ちゃんと保湿しろだの、化粧を落とせだの、”内なる声”が姿を現して、責め立てるように顔を侵略していくからタチが悪い。

 


そういえばー、と、冷水が温水に変わるまでの間に、かなり歳上の友人が「ニキビできちゃった」と言ってから、「あ、吹き出物」と言い直していたことを思い出した。

確か私は「いや、ニキビでいいっすよ」と返して、それから”ニキビと吹き出物の境界線ってどこなのか”、”その境界線を作る必要はあるのか 否か”についてをひたすらに話した。今思えば、彼女のあの言い直しって「まあ、私もオバさんだし」に対する「いやいや!そんなことないっすよ!」待ちか。…オバさんだな。確かに”ニキビ”って感じではない。潤いのない感じ。”吹き出物”という言い方は適切だし、私はまだ”ニキビ”と言いたいと志願した。

 


ーーー 今日は、全てのことを天が許すとされる「天祓日」、そして一粒の籾が何倍にもなって稲穂が実るとされる「一万倍日」が重なる、大変良い日です。迷っていることを始めたり、何かを決心することに背中を押してくれる、そんな素晴らしい日です。

 


朝と昼の間に放送される番組に圧力をかけられてから始まる一日の、どこが素晴らしい日なのか。こっちは朝からニキビが発育しやがって、保守的にいこうとしているのに。アクティブ/アグレッシブな生き方を勧められ、やるせない。...しかし、人間の心理的に、ちょっとでも運とか縁起とかに頼ろうとしがちなのも否めない。一旦、保守的でいこうとするのはやめて、今日は最強な日だと意識して、能動的に過ごそうと決意する。

 


飼い猫とスキンシップをとったあと、ホットココアをマグカップに注ぎ、自分の部屋へと運ぶ。ついでに着替えと化粧を済ませて、少し時間があるからと、音楽を聴きながら未読の雑誌を読んだ。耳と目、一度にインプットされる情報が過多であることを自負しながらも、いやいや、ここは保守的になってはならないと、頑張って聴く/読む。どちらの内容も100%で入ってこず、やるせない。

 


吸いかけの煙草を手からするりと落とした。車のエンジンをかけた瞬間に給油ランプが点滅し出した。仕事先が忙しかった。食欲があまりないのに、わざわざ昼食(といっても食べたのは16時頃)を食べた。帰ってから2時間も動かずにスマホを見ていた。

 


気づけば、『「天祓日」と「一万倍日」が重なる大変良い日』と名付けられた今日も、後30分弱で終わろうとしていた。

今日一日、保守的になるまいと決意したのにも関わらず、アクティブ/アグレッシブに生きた心地は皆無だった。手応え全くなし。

もう落とすまいと気をつけて煙草を吸ったし、ガソリンを無駄にせぬようとエコに走ったし。忙しさに重ねて面倒を起こさぬようとマニュアル通り働いたし、疲れを忘れさせるために満腹感を欲した。むしろ、いつもより気を張り詰めた、”保守的にならないための保守”があったように思う。

だから言ったんだ、やるせない一日の予感は的中した。

 


電気ストーブのモードは「強」。ホットカーペットも最高温であり、家中の加湿器不足(皆、自分の部屋へと持って行ってしまう)のため、部屋の湿度は0。

ここには潤いというものが一切なく、完全に顔を我が物にしたニキビたちでさえ、吹き出物と呼ばれるのに相応しいほど乾燥している。

そしてこの最強な日に何の手応えも感じられなかった自分にも、潤いのなさを感じた。

 


やがて私はパソコンを開いて、この文章を書き始めた。

書きながら思う。今の私には潤いがあるとは到底言えなくて、でも潤いを欲していて、だけど求めているだけで何か行動できている訳でもない。ニキビを吹き出物と呼ばれる日を、ただ待っているだけ。だから今こうして言葉にして、ちゃんとしろよと気を奮い立たせる。言葉にすると不思議なもので、やらねばならないことと、決意せねばならないことが浮かんでくるから、やがて私は言葉に奮われて、この最強な日が終わろうとしているギリギリに、決意が完成するのである。

決意の中身は人様に宣言するものではないが。

 

 

 

 


「皆さんは何を始めましたか?決意しましたか?」

誰かが誰かに尋ねているツイートがタイムラインに流れてきた、今日が終わる5分前。私はこの文章を書きながら、ーーを始め、ーーと決意した。

 

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くだらないの中に

私が眠ろうとするときに限ってあなたがギターを取り出すから、シングルの布団を一時的に自分の物にすることができた。はいはいその時間ね、と、布団に潜って目を閉じる。E、A、D...わざわざご丁寧にチューニングまでするせいで、中断させることもできなくなってしまった。なんだか一生懸命で。

でも、こちらもただでさえ疲れているのだ。朝も早い。眠りにつきたい。布団にぎゅうぎゅうで眠らなくて済むのは嬉しいが、一時的でいい。さっさと横に来て、私を後ろから抱擁し、二人で眠ろう。薄汚い白色の蛍光灯が眩しいからと消そうとすると、リモコンが見つからない。すでに隠されたリモコンを、決して布団から出ずに探した。手探りの範囲は布団内。そして遠くの乱雑に本や雑誌が積まれたタワー、愛称は蔦屋タワー(8割が近くの蔦屋で買ったものだから)の上に乗るリモコンを見つけ、諦めた。いいや、目を閉じれば暗闇だ。

あなたはギターをよいせと運び、コードが書かれたiPadを、うつ伏せに眠る私の背中に置いた。小声で「よし」と呟いたくせに、なかなか始まらないのも毎度のこと。あなたは今日も相変わらずだね。

〈髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり〉

ギターと歌はたどたどしいが、あなたがこの曲を大事にしているのを知っている。だからこの曲が好きだ。とても好き。

次のコードを探しているわずかな間に、「夜だから静かにね。みんな寝てるから」と言った。するとあなたはこちらを見ながら頷いて、〈日々の恨み 日々の妬み 君が笑えば解決することばかりさ〉と歌う。そこだけすらすらと歌うから、なんだか素直に照れてしまった。今の自分を肯定された気分になったのだ。「好き」「愛してる」の言葉よりも、あなたらしい愛情表現だなぁと思う。

この曲を私とあなたの恋愛模様に重ねて、勝手に自分たちの特別な曲にするのを許してほしい。

 

 

 

気づいたらあなたが横にいて、カーテンが朝の風で揺れていた。眠るあなたの首筋をすうっと嗅ぐと本当にパンの匂いがするので、眠る前にまたあなたがギターを弾いて歌うとき、教えてあげよう。

 


[実在しないお話 - フィクション]

 

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TL - タイムライン

台風19号直撃の翌日は、仕事だった。

目が覚めても、外から信じられない雨音が聞こえてくることもなかった。再び、普遍的な気候が戻ってきただけ、なんなら少し秋の終わりさえ感じる天気。一日中不安と頭痛を抱えることもなさそうだった。

 


「群馬はそんなに被害がなかったんだね」

「そうだね。でも、怖かったのはみんな同じだよ」

「怖かった。それじゃあ、仕事行ってきます」

母とそんな会話をして家を出た。車を運転して、いつもの道を進み、いつも赤になる信号で止まれば、携帯を開いてしまうのは癖、もはや病気である。

台風による大きな被害についてと、何の変哲も無い生活に戻りつつあるツイートが交互に流れる、殺伐としたタイムライン。全部を読む気力も時間もなく、シュポッと更新し直すと、とあるツイートが流れてきた。

 


[ ひとが、ただ生きているだけで美しいというのは、すべてを肯定的に称賛する言葉ではなくて、死んでしまいそうなひとに、生きてほしいと願う、一縷の望みを託した言葉です。僕はなぜか、みずから死んでいこうとするひとを好きになるのです。なぜだかわからないのですが、ぜったいに死んでほしくはない。]

 


トナカイ、という人の、長い長い呟きだった。

私はこの言葉を読み終えると、信号が青になってから右折レーンに移動して、咄嗟に自宅へ帰ろうとした。「今日は仕事へ行けない」と思ったのだ。

理由は特別なものではなくて、衝動的にそう思ってしまったのである。[僕はなぜか、みずから死んでいこうとするひとを好きになるのです。]、この言葉に台風直撃と同じくらいの恐怖と興奮を受けて、「家に帰って、この言葉のことを考えたい」と思ったのである。

 


...そこで帰れたら、この話はフィクション。現実では仕事を休めるはずもなく、右折レーンに入ったはものの、さらにまた右折して、結局いつもの道に戻った。前を走るZEEPのどデカイロゴ。"チルミックス"という名の、AIに選別されたプレイリスト。台風19号やその言葉とは真反対にいることに夢見心地になりながら、仕事へと向かった。

 

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