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思いついたときにただ色々書いています

ふたりの音楽

 

たぶん、今私はお酒に酔っていて、しかも低度数のお酒に酔っていて、大してお酒も呑めないくせに、仕事帰りに二缶とおつまみを購入し、夜をじっくりと更す”ごっこ”をしているのである。

そうしたら何となく日付が超えた。四月になった。

頬があまりにも火照て、酔いを覚まそうと開けた窓。こちらから春と思えない冷気が入り込む。

冬を忘れられない春、四季の変化の速さを憎んだ冬、両方が冷気に入り混じり、頬を叩いた。

するとライブラリに「トーチ - 折坂悠太」と「爛漫/星占いと朝 - カネコアヤノ」、この二曲のシングルがリリースされ、ダウンロードが始まった。

読み込み中のマークがくるくると回るのを見つめ、それから少しだけ画面を指先で動かす。

下の方には過去にダウンロードされた音楽たち。

画面を切り替えると、悲壮と嫌悪が詰まった息のできない現実に戻りかけたから、明かりを求めて悶えるように ふたりの曲を順番に再生した。

 

聴き終わって、私は頬がさらに熱くなったからいっそ外に出てしまおうと思って、寝巻きを隠そうともしないで、ふたりの音楽だけを忘れないようにポケットにしまって、歩いた。

家を出て、通っていた小学校をぐるりと周り、よく友達と行くコンビニを横目に、友達の家の前なんかを意識して歩いた。ふたりの音楽をその間ずっと、ずっと再生して。

画面とやらに映るものは何もなかった。画面とやらから感じるものも何もなかった。画面とやらに泣くこともなかった。見えるのは、これからずっと忘れないであろう日常の景色と色。暗闇で真っ暗、色は黒だとしてもはっきりと見える。ここが私の故郷だ。死ぬ間際に思い出す所。苦しくなったら戻りたいと焦がれる場所である。

度々、夜とこの町を支配した気分(夜中は人が眠り、私だけがこの世にいるような気になったという、厨二病のような気分である。実際に中学二年生くらいの時に多かった)になったこともあった。だけど今、ふたりの音楽しか聴こえなくとも確かにそこに人がいて、気持ちを抱いて眠っていると分かる。大切な人に明日を生きていてほしいと思うことは、眠りにつけない夜を味方にすることも分かる。

 

あんまりにも外が寒いから、もうちょっと居たかったと思うこともできず、再び温かい部屋へ。

ああ、新しい年度になったんだ、四月、春だ、と少しだけ思った。

酔いと音楽に奮い立ち、使命感片手に外を徘徊した、ただそれが今の自分に必要だったと知る。

酔いはともかく、ふたりの音楽が今日この日に同時にリリースされたことが、ただ煌々と光るだけで道標を教えてくれない画面の中をこちらに進めと言って、そこに鳴る。これから先が深海のように深くとも、雷雨のように騒々しくとも、鳴り続ける。

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